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量子技術の実用化を見据えて

前報の3編で、AI技術の課題を乗り越える将来技術は何かを探るため、岡目八目とばかり医工分野(参考資料12)と、電子工学に近い光学分野(参考資料3)の現状を見てきた。結論として光学分野にその萌芽が見られるという点が収穫の一つであった。

そろそろここで本筋のAIに戻り、現状を振り返ってみようと思う。英国エコノミスト誌が「MEGATECH Technology in 2050」(邦訳 土方奈美、「2050年の技術」、文芸春秋社)で2050年を予測したのが2017年であり、その本の出版からも9年経過している。自分自身の技術動向認識もそろそろ見直しの時期でもあると考えたからでもある。技術動向がどちらを向いているのかを常に意識して、必要ならその認識を修正することも技術者として必要なことである。

土方奈美氏の邦訳を基に筆者なりにまとめた「2050年の技術」の結論では、『AI、IoT、脳機能量子コンピューティングが活用され、AIとディープラーニングの深化で産業技術動向が方向付けられる時代になる』と導いていた(参考資料4)。その時筆者は、古い手法ではあるがKJ法で予測したが、今なら原典をそのまま生成AIソフトに挿入して、基本単語や熟語、短文からこの本の要約をせよと入力すれば、自動的に結論が得られることであろう。10年前にも既に特許明細書の基本単語を入力し、類似特許を抽出する技術は存在していた(参考資料5)。

資金と時間をかければソフトの力を使って、当時でも現在のAIソフトを使った場合と同様なことができたのかもしれない。しかし9年前は筆者個人の資力ではそれも叶わず、手動でやらざるを得なかった。但しAIソフトでは途中経過はわからないが、手動のKJ法ではそれがわかるという大きなメリットもある。多分当時のソフトを使っても結論は同じだっただろうと筆者は今も確信している。

さてその9年前の筆者の予測に対して現状をチェックしてみよう。AIやディープラーニングの浸透はここで筆者が逐一書き並べるまでもなく、すでに読者はご高承のことであろう。インターネットを検索しても、製造現場においてもAIは既にいろいろな場面でその力を発揮している(参考資料6)ことがわかるし、生成AIに関しても製造現場で広く使用される時代になっている(参考資料7)ことを容易に知ることができる。

そのAI技術のハードの基盤となる半導体に関しては、わずか5年前までは、東京大学大学院の講義でも日本人聴講生がなかなか集まらず、世話役の教官にご迷惑をお掛けした。ささやかながらも筆者の技術蓄積を後進に伝えてからお墓に入ろうと思ったのだが、その後進の勉強する対象に半導体は入らない時代が続いていた。

そこでいささかずるいが半導体とは言わず、半導体製造技術の根幹の微細加工技術をテーマにすれば、実験方法に悩む院生が聴講してくれるだろうと考え、その方針で講義を行っていた。しかしそれでも聴講してくれる院生は日本人より留学生の方が多くなり、英語での講義を要請された時代が2020年ぐらいまで続いていたのである。

テーマが半導体では国内に就職先がなかった、あるいはあるとしても限定されていたため、それもやむを得なかった。いくら1985年ごろは日本の半導体産業は世界一だった、その基盤となる技術内容の講義だ、と言っても、なにせ日本人聴講生にとっては生まれた時から半導体は斜陽産業であったので、世相としてそうなるのも仕方がないと講師としても諦めていた。

現在のように半導体が見直され、産業のコメという地位を取り戻して、政府が力を入れてくれているのを見ると、日時はかかったが正に隔世の感がする。従って結果としてAI、半導体に関しては9年前のKJ法での予測は間違っていなかったと思う。政府も政策としてAIと半導体技術に国策として力を入れてくれるようになっている。

では今後更に10年後、AI技術の将来は、あるいはその基盤を構成する半導体技術も含めて、技術動向はどうなるだろうか。現状でもいろいろなところで議論されているように、AI用半導体デバイスの消費電力の問題、AI装置の冷却水の問題、更にはデータセンター建設一つをとっても地元の理解を簡単には得られないなどの諸問題が山積している。これらの課題に関しては、例えば今後ともデバイスの改良改善などもなされるだろうし、AI装置の冷却技術なども改善が進むであろう。環境問題に関しても社会の理解も浸透すると思われる。しかし、それでも上記の消費電力の課題や環境アセスメントのような基本的な問題は依然として残るだろうと予測される。

筆者はこのような課題の革新的な解決法の一つは、やはり量子技術にあると思う。「唐突になぜ量子なのか、論理に飛躍があるのではないか。量子コンピュータでも同様な問題があるではないか」との誹りを受けねばならないかもしれない。しかし既に量子通信についてだけでも、インターネット上で多くの詳しい解説が見られる時代になっている。ここでは逐一触れないが、量子ビットを使用し量子もつれ現象を使えば、重ね合わせの原理で通信容量や通信速度が飛躍的に増加するであろうことは、筆者のような素人にも理解できる。もし現時点で今後の技術動向を見直すとすれば、IoTはもう十分浸透したので省き、将来技術動向しとして、AI、深層学習、脳機能量子コンピューティングなどに加えて、もう一つ「量子技術」を考えておきたいと思う。高速道路を自動車運転するときも、遠方を見据えるとハンドルさばきもぶれない。それと同じで、できるだけ遠くに目標を置いた方が間違いも少ない。

もちろん量子技術が電子技術にすぐ取って替わるということではない。現在のノートパソコンの性能が以前のスーパーコンピュータ並みになっていると言われるように、ソフト、ハード両面での現状技術の革新は今後とも続くであろう。但しその先、今の電子式スーパーコンピュータに替わる技術として量子技術を考えておかねばならないし、また量子インターネットが普及する時代も予測して、電子と量子の両技術が乗り入れられるプラットフォームなども視野に入れて、予測される課題解決策を今から考えておかねばならないということである。これは10年先というよりもっと先の数十年先の目標となるのかもしれない。しかし意識しておくのと、その場に及んで想定外と慌てるのとは大きな違いがある。光陰矢の如しで、10年先、数十年先はあっという間である。

量子技術に関しては、現状はまだそのコスト計算を行える、あるいは予測できる技術レベルには至っていないことも事実である。課題はその「量子状態」をいかに持続させられるかにかかっている。将来その技術課題が解決して、かつコストも安くなれば、量子技術の社会実装も進み、インパクトも大きいことは容易に予測されるところであろう。あるいは現在スーパーコンピュータと汎用コンピュータとを用途に合わせて使っているように、用途に合わせて電子コンピュータと量子コンピュータのハイブリッドの時代になっていくことも十分予測される。いずれにせよ量子技術抜きには将来は無いと考える。

しかし量子技術者の育成一つとってもその道は並大抵のことではない。米国での事例は既に報告した通り(参考資料8)であり、米国ですらその後の技術者育成の進展は遅々としている(参考資料9)と言ってよい。但し米国では量子技術の計画があり、各省庁間で横断的に重要性が認識されてコンセンサスが確立しているだけでも、明確にその方向へベクトルが向いているので、いざとなればダッシュ力はあると思う。

筆者も遅まきながら量子力学を復習しようと心掛けている。2022年のノーベル物理学賞にもなった、難解な「量子もつれ」を理解しようと試みたが、若い時代に読んだ古い教科書やシッフ著、あるいはポーリング著などの量子力学専門書には、容易に理解できる説明が見当たらない。不勉強の至りで、一時は古い量子力学の書物には量子もつれに関しての説明は載っていないのではないかとも思っていたくらいである。

ところが昔のNEC時代の同僚から、2026年の年賀メールのやりとりで、ディラック著の量子力学(参考資料10)に該当ページがあるとの指摘を受けた。以前ベンチャー企業について利益を生み出すまでの時間短縮に関し私見を述べた時(参考資料11)にも、ベンチャー事業を支援し実践者としている自らの経験を基に、貴重なご意見を寄せてくれた田辺記生氏からである。田辺氏は現在も東大発のベンチャー企業を支援しておられるが、通勤電車の時間を利用して、車内でディラックの量子力学の本を開いて復習しているとのことであった。その勉強熱心さには心底敬服させられる。筆者とは頭の構造も意欲の強さも全く異なるのではないかと思うほどである。愕然としてご指摘の個所をあらためて読んでみた。本稿はディラックの著書の内容を説明する場ではないので、論旨が煩雑になるのを避けるため、その詳細は参考資料の項に概略をまとめて記述するにとどめている。ご興味がおありの読者はそれをご覧いただきたい。筆者は、若い時代には当該部分を十分理解できずに読み飛ばしていたため、記憶に無かったのだと思う。

振り返ってみると、量子もつれや量子テレポーションの解説書を著している古澤明氏も、量子もつれはディラックの演算子を用いて説明している(参考資料12)。古澤氏は量子光学の分野で量子化の説明を記述している。これは前報(参考資料3)で触れた光学分野とも関連するので、AIや半導体の壁を突破するための岡目八目もあながち無駄ではなかったことになる。また古い教科書でもわからないと放置せず、隅々まで理解するよう普段から熟読玩味を繰り返す必要があることも、恥ずかしいながらこのたびはつくづく痛感させられた。参考資料12以外にも量子もつれの解説は多い。ご興味がある読者は枝松圭一先生の解説(参考資料13)や辻理絵子氏の解説(参考資料14)も判りやすいのでご一読願いたい。

ここでもう一つ言いたいのは、通勤電車の中でもディラック著の量子力学を勉強する意欲を持っている気鋭の技術者が、現実に居られるということである。僭越ながら我が年齢を振り返りつつ、「若者よ、彼に続け、奮起せよ」と強く主張したい。参考資料89でも触れたが、米国の官僚の中には量子技術を理解している者が、各省庁の隅々まで多数いるという現実にも注目してほしい。日本でも官、学の分野で量子技術に関してもっと理解者層の裾野を広げる必要がある。我が国の官僚も優秀だと言われているが、技術の詳細を理解せずに政策を立案企画し予算化するのは難しいだろう。日本でも単なる限られた省庁だけではなく、米国のように省庁間で横断的に目標を見据えて、盤石の基盤の上に、長期的な視野に基づく構想を実行されることを期待したい。それこそが真の“骨太な戦略”であろう。

謝辞
本稿は原稿作成時点で元NECのULSIデバイス開発研究所時代に職場を同じくした工藤修氏と田辺記生氏に御査読を願った。またいつもの通り津田建二編集長に御査読を頂いたことを記し、ここに深甚な謝意を表しておきたい。

参考資料
1. 鴨志田元孝、「医工連携の深化を望む(その1)」、セミコンポータル、(2025/07/09)
2. 鴨志田元孝、「医工連携の深化を望む(その2)」、セミコンポータル、(2025/07/09)
3. 鴨志田元孝、「光学の発展と応用―省電力AI開発のヒントを探して」、セミコンポータル、(2025/07/23)
4. 鴨志田元孝、「2050年の技術予測―課題はやはりIoT、人工知能(AI)、深層学習関連か」、セミコンポータル、(2020/06/02)
5. 鴨志田元孝、「類似性で検索するツールと特許電子図書館での有機薄膜特許の分析」、セミコンポータル、(2010/04/22)
6. 例えば、ヒューマンサイエンス、「製造業界へのAI進出〜製造業でのAI活用と今後
7. 例えば、キャノンITソリューション、「現場の知識・経験をAIが引き継ぐー製造業における生成AI活用の最前線
8. 鴨志田元孝、「米国の量子情報科学産業振興政策からわかる国家戦略」、セミコンポータル、(2022/05/26)
9. 例えば 鴨志田元孝、「一朝一夕にはできぬ労働力・人材育成の難しさ(前編)」、セミコンポータル、(2022/09/09)、これに続いて中編、後編がある。
10. 田辺記生私信(2026年1月1日)、以下、カッコ内はその原文である。「ディラック書、和訳第4版 VIやさしい應用 36角運動量の性質196頁に以下の記述があります;『二つの互いに交換するオブバーザブルがあるときに、一方のオブバーザブルに対して一つの固有値を指定すると、それに応じて他方のオブバーザブルの固有値が定まるという現象である。この現象は、二つのオブバーザブルがまったく独立というわけではなくて、部分的に互いに他の関数になっているのだと考えておいてよかろう』。これは、量子もつれの数理物理的説明ではないかと思います。」
版はもう一つ古いが、筆者手持ちの朝永振一郎・玉木英彦・木庭二郎・大塚益比古共訳「ディラック量子力学」岩波書店第3版(1964年10月第9刷)でもご指摘の場所に全く同じ記述があることを確認した。(筆者註:オブザーバブルとは量子力学用語で、観測可能な物理量をいう。)
11. 鴨志田元孝、「ベンチャー企業が利益を生むまでの期間短縮支援のための公立のプラットフォーム設立を提案」、セミコンポータル、(2025/03/07)
12. 古澤 明、「量子もつれとは何か−『不確定性原理』と複数の量子を扱う量子力学−」、
 講談社ブルーバックスB-1715刊(2011/02/20)、特にp,76、(式5-1)以降。
13. 枝松圭一、“<今さら聞けない?基礎中の基礎>量子もつれ(エンタングルメント)って何?”、応用物理学会誌第79巻、pp.935-939(2010)
14. 辻理絵子、“量子通信-量子インターネット実現を目指してー”、三井物産戦略研究所
2023年に注目すべき技術「量子通信」および「知財レポート」

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