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医工連携の深化を望む(その1)

現代のAI機器には消費電力の課題があるのでイノベーションが必要なことは誰しも思うことであるが、何をどうすればよいのかは皆目見当もつかない。こういう時は身近な産業分野を時々眺めてみることも必要である。いわゆる岡目八目である。本稿以降しばらくバイオと光学分野の現状を覗いてみたい。光学では情報伝送の省電力という意味でフォトニクスや量子産業がセミコン産業と隣接している。またバイオはニューロンの仕組みなど省力システム関係で見ておかねばならない。とはいっても、両者ともあまりに広いのでどこを覗くか、その切り口が重要になる。筆者の独断と偏見で医療関係、特に医工連携から入るが、それは筆者の個人的な事情もあるので、それによる偏りはあらかじめご了承頂きたい。

医工連携についてはセミコンポータルの読者に改めてここで説明する必要もないだろう。
工が医に提供する先端機器の中には半導体デバイスが産業のコメとして広く使われている。結論から言えば医工連携がAIの将来に関わるまでにはまだまだ大変だなというのが筆者の個人的な印象である。

筆者はNEC在籍時代、他事業部門から「半導体グループの用語は半導体ムラでしか通用しない方言だ」とよく言われた。半導体製造部門で使われる「歩留まり」という言葉自体が、装置産業部門では理解できない。彼らの世界には「100%歩留まり」しか無いからである。予算作成時には装置部門出身の同僚によく「歩留まり100%にすれば予算達成は簡単ではないか」と追及されたものである。

同様に今回本稿をまとめていて「医学用語も医学ムラの方言ではないか」と感じることが多々あった。ここではセミコンポータルの読者を念頭に、できるだけ医学用語を抑えたつもりだが、医工連携を説く以上、医工両方の方言に従わざるを得ない部分もあるので、そこは予めご了解いただきたい。難しい医学用語のところは飛ばし読みされても本稿の趣旨はご理解いただけると思う。次章の第1段落から第4段落までは、医学ムラ(失礼ご容赦)の方言も多いので、それをお含みおきの上、先に読み進んで頂きたい。

医学と工学の連携も多くの大学で学部や学科の改変を通して進んでおり、また2024年には東京医科歯科大学と東京工業大学の大学間統合で東京科学大学が誕生していることはよく知られている。このような方言もやがて連携部門あるいは融合機関では共通語になることであろう。

本稿では医学に貢献している工学の例として、特に光学によるDNAの研究例を取り上げる。癌の原因は細胞がDNAをコピーするときのエラーで説明されるという報告もある(参考資料1)ので、以降本稿で述べる課題と直結するからである。

なお本稿ではDNAの鎖の本数を数えるときは算用数字を用い、その本数が鎖の形容詞として使われる場合は医学用語に倣って漢数字で記述する。二本鎖を二重鎖と記している文献も多いが、ここでは煩雑を避けるため二本鎖と統一して表記した。なお本稿(その1)と(その2)はいずれも筆者と家族の実体験に基づいている。


癌と抗癌剤――患者にとって難解な大学病院の抗癌剤説明資料

近年医学の進歩も著しいがそれでも癌は依然として難題である。手術で完全に癌を除去できればそれに越したことはないが、いつもそううまくいくとは限らない。癌が手術しにくい場所に存在するとか、あるいは癌細胞が広く分布していて手術で全部取り切れない場合もある。そのような場合、ひとまず癌のサイズを小さくして手術で取り除きやすくするために化学治療を行う。その治療に使われる抗癌剤にもいろいろあるが、例えば毛細血管形成を阻止(医学用語では阻害)して癌細胞に栄養が届かないように働き癌細胞を餓死させる薬もその一つである。しかしこの抗癌剤は毒性も激しく、かつ癌細胞以外の健康な細胞にも影響を及ぼすためその副作用もあるので、取り扱いにいろいろな細心の注意が必要になる。

しかし不幸にしてその抗癌剤を使っても、癌の大きさが手術で取り除けるサイズにならない場合は、次の段階で癌細胞を標的にした薬剤の投与に移る。この薬剤は分子標的型と呼ばれていて、癌細胞のDNAを標的として、その癌細胞が死滅するように働く薬である。

普通のDNAは、よく知られているように2本の鎖が螺旋状に絡まった形になっている。そのため病院で上記分子標的型薬剤の説明を受けるとき、正常な鎖の数が1本の場合は一本鎖、鎖が2本とも正常なら二本鎖などと、なかなか普通の患者には馴染みのない言葉が飛び交うことが多い。現代の高校生なら一本鎖、二本鎖などの単語は生物の教科書に出てくる内容であるが、今の時代に癌になる世代の患者は昔の教科書で習った人が多いので、これも世代間のギャップでもある。しかも薬学分野の用語で薬の効用を説明されるとき「作用機序」という言葉を使われると、その言葉自体が一般の人の日常用語ではないので、ますます壁が高くなる。「メカニズム」と言ってくれればすぐ判るのにと思ったものである。

詳しいことはここでは省略するが、DNAに損傷があり、2本の鎖の内、1本が切れている場合はPARP(poly ADP-ribose polymerase)という酵素が切断を認識して、修理タンパクと連携して切断箇所を修復できる。又、鎖が2本とも切れている場合でもBRCA1/2を含むタンパクにより修復できる。これは相同、即ち似たようなDNAの部品を使って切れた鎖を修復できるので、DNAにはいわば二重の防御策が働いている。後者は専門用語で「相同組み換え修復」と呼ばれている(参考資料2)。

癌の中でも限られた癌の場合だけではあるが、この相同組み換え修復ができない癌もある。例えば卵巣癌患者の癌細胞遺伝子は多くの場合この相同組み換え修復ができない。従ってこの場合はもともと二本鎖が切断しているので、PARPの働きを止め(参考資料3)一本鎖の切断を修復できないようにしただけで、卵巣癌細胞を死滅させることができる。詳しいことは省略するが、日本では2018年に卵巣癌患者に対してオラパリブ(olaparib, 商品名:リムパーザ(lynparza))という分子標的型薬剤が承認された(参考資料4)。

大学病院では医師が多忙を極めているためか、一般の高齢患者が理解しにくい説明書類をただ単に患者に手渡し、その薬を使う承諾書を作成する場合が多い。どうせ患者に説明しても判らないだろうからとその文書すらもよこされないこともある。患者の方もここで医者に逆らっても先に進めず時間の無駄なので、不十分な理解で曖昧なまま承諾書にサインをするのが常態になっている。

筆者も医学は専門外なので、渡された分子標的型薬剤の説明文を読んだ時、その内容を上記のように把握するまでかなりの時間を要した。難解な文章を解読するときの常套手段で、その文章から形容詞と副詞を除き、主語動詞述語のみを切り出して根幹だけの文にして全体を構成しなおし、「ここの文意は『多分』こういうことだろう」と患者や親族に説明したが、自分でも「多分」では釈然としないので、関係論文をネットで検索して、判らないながらも読み解く努力をした。更にまたネットに掲載されている解説記事を参考にしながら、医師から渡された説明文を何度も読みなおして、やっと前記のような内容なのだと判断した次第である。必死になって闘病している患者や、介護に時間を割かねばならない家族にとっては、もっと判りやすい説明文が欲しいものとつくづく感じた。


視覚に訴えると分かりやすくなる説明

そのようなときに、大阪公立大学大学院理学研究科飯田教授の、光誘導加速システムに関する解説論文(参考資料5、6)に接した。中でも参考資料5の電子付録図C1(a)には光誘導加速技術を用いて多数の一本鎖細胞から二本鎖細胞を作る例が図示されている。これは上記の癌細胞に対する一本鎖の修復を阻止し細胞を死滅させる分子標的型薬剤の働きとは目的が逆の技術である。

しかし一本鎖や二本鎖を識別できる技術であれば、その説明を援用することにより、患者やその家族にとって難解な分子標的型薬剤の作用機序、つまりメカニズムを容易な表現で説明することが可能になるのではないかと考えた。そうなれば一般患者にとって分子標的型薬剤の説明ももっと判りやすくなり、患者や家族にとっては有難い。なにより医者も患者に説明しやすくなりお互い時間を節約できるというものだろう。闘病患者やその家族にとって、投与される薬剤を理解し納得することも、患者の快癒に向けて大きな力になる。その意味で患者に理解しやすい説明書が喫緊の課題である。

あるいはまたこの光誘導加速システムに限ることなく、例えばこの一本鎖、二本鎖の識別に2018年ノーベル物理学賞になった光ピンセット技術(参考資料7)を使って説明するのもよいと思う。例えば電気通信大学レーザー新世代研究センター米田仁紀教授は、「レーザー基礎実験」として、DNAに二つのビーズを付けて、それぞれのビーズを光でトラップし、ビーズ間距離を制御したり回転させたりする技術をYouTube で公開している(参考資料8)。このような方法でも、分子標的型薬剤の作用機序を判りやすく説明できると考える。何はともあれ光技術、あるいは広く光学を用いて、患者や家族にとってもっと判りやすくした説明資料が使われるようになって欲しい。

参考資料5、6や参考資料7、8は視覚を通して図(あるいは動画)を用いて説明がなされている点で共通している。それが大学病院で使用されている分子標的型薬剤の説明書との違いである。従って後者でも視覚に訴える考え方を適用し説明がなされるようにすれば、格段に判りやすくなるだろう。またこの方法は大学病院で使われている上記分子標的型薬剤以外の他の難解な説明書の場合にも、患者が容易に理解できるようにするために有効である。

視覚に訴える手法として工学ではデータの可視化という手法がある。それについて医学の現場ではどのようになっているか。その実態は本稿に続く(その2)(参考資料9)で詳細に記述する。

謝辞
毎度のことであるが、査読をして難解箇所をご指摘頂いた津田建二編集長に心から感謝し、御礼を申し上げたい。

参考資料
1. 例えば三谷祐貴子訳、「がん発症原因の大半はDNAの複製エラー」、NatureダイジェストVol.14, No.6,(2017).
2. 相同組み換え修復については「生物学をわかりやすく解説―生物系大学生の生存戦略」の「相同組換え」の章が判りやすい。
3. 例えばPARP阻害薬についてはhttps://medley.life/medicines/article/5af8edbba3220394758b456c/、MEDLEY
4. 例えば「リムパーザ(オラパリブ)の作用機序【卵巣/乳/膵/前立腺がん】」、新薬情報オンライン
5. 飯田琢也、「光誘導加速システムの医療・食品・環境計測への応用と展望」、応用物理94巻(第5号)、pp244―248(2025).中でも電子付録図C1の図(a).
6. 大阪公立大学LAC=SYSTEM研究所ホームページ.
7. 光ピンセットに関しては例えば、オプトロニクス・編集部、「中高生にもわかる今年のノーベル物理学賞その2(光ピンセット編)」、Optronics Online、(2018/10/15)
8. 米田仁紀、「OPIEセミナー 自分で作るレーザーピンセット」、YouTube
9. 鴨志田元孝、「医工連携の深化を望む(その2)」、セミコンポータル、(2025/07/09)

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