中国蘇州高新ハイテクパークに日本企業400社が進出、バリューチェーン完備
景気は回復しつつあると言われながらも、いまだ活気に乏しい日本企業が多い中、日本企業誘致の数が400社に達したとして、中国の産業ハイテクパーク蘇州国家高新区が16日東京で大規模な式典を行った。
来日した蘇州国家高新区管理委員会書記、王竹鳴氏は他のハイテクパークと比較して群を抜いて多くの日本企業を高新区に誘致できた要因として日本人に親しみやすい文化、交通の利便性とともに、「完備したバリューチェーンがある。生産コストが安いだけでなく、調達コストも安く、進出企業は発展できる」とサプライチェーンに強みがあることを強調した。
蘇州国家高新区管理委員会書記、王竹鳴氏
蘇州市は中国江蘇省の東南部、東シナ海に注ぐ長江の南側にあり、上海の北西約80km、高速道路は25分で上海とつながり、東京―上海間には1日4便、かつ、隣接の無錫市には大阪から直行便が就航している。
蘇州国家高新区はその蘇州市内にある国家レベルのハイテク産業開発区で、電子・情報、精密機械、バイオ医薬品、自動車部品などのハイテク産業が集積しており、2008年の電子・情報関連の生産額は852億元(約1.2兆円)、同地区の工業生産額全体に占める割合は50%強に達するという。投資ベースで日本企業は33%を占め、その集積度が中国沿岸地域の中で最も大きいという。
蘇州国家高新区は、中央政府に蘇州国家ハイテク産業開発区として1992年に認定された。日本企業の進出は1993年の横河電機を第1号として、2002年に累計100社、2004年に同200社、2006年に同300社と順調に誘致数を拡大してきている。2009年9月には累計400社を達成しての記念式典となった。式典では進出企業400社目になった加賀電子株式会社の代表取締役会長塚本勲氏に400社目の認定証が授与された。この式典への出席者400名は、既に進出している日本企業が300名、これから検討の可能性のある企業が100名であったという。
王氏が強調するように、蘇州高新区には電子情報産業、精密機械設備産業を中心としたサプライチェーンが構築されており、部品調達でも、デルタ地区からは1時間以内、中国国内でも2〜3日、さらに周辺各国からも1週間以内の部品資材の調達が可能としている。
電子情報産業では、PC関連、通信、OA機器、デジタル家電、デバイスとバリューチェーンを拡大、充実させてきた。2007年には液晶テレビの生産を開始、08年には1000万台以上を生産、世界生産の10%を占めるようになったという。09年には1700万台の生産を予定している。
昨年の世界同時不況は、しかし輸出型産業の多い蘇州高新区には、中国全体よりも大きな打撃となった。その反省から、「2+3」産業発展プランを策定したと蘇州国家高新区管理委員会の招商局局長の谷光氏は語った。
「2+3」産業発展プランとは、既存の電子情報産業と精密機械・設備産業の2つの産業領域に加え、新たに新型エネルギー産業、バイオテクノロジー医療機器・設備、アウトソーシング・サービス業の3領域を育成、拡大していく戦略である。これはまた、製造業を中心とした誘致から、研究開発を中心としたイノベーション型の企業を今後積極的に誘致する戦略を意味する。
「不況の中でも、技術レベルの高い会社は生き残ると思う。こういうイノベーション型の企業をどんどん誘致して、長いバリューチェーンを形成し、蘇州高新区のグレードアップを図りたい」と語る王氏は今回の来日でも東京、大阪とこのような企業を勢力的に訪問した。
すでに新エネルギーの分野では、カナダのカナディアン・ソーラー社(Canadian Solar Inc.)が進出。R&Dから生産までの体制を築いている。蘇州高新区ではすでに08年にはソーラーセルの生産は105.4MW、2〜3年で700MWまで拡大する見通しという。
特別講演に招かれた大前研一氏によれば、蘇州と広東では部品の調達が1日で可能になっているという。かつて日本の産業を支えていた中小工場からなる部品、サービスのクラスターが日本では崩壊、同氏によれば、最盛期に8000社あった大田区の部品産業は今や3000社にまで減少しており、かなりの部分は中国へ行ったという。
蘇州高新区は各産業のアセンブリから部品まで着々とバリューチェーンを築いてきた。その場に効率的なバリューチェーンがあれば、アセンブリ産業はその周辺へ集るので、この動向はますます加速するだろう。
日本がこの流れを反転することはすでに難しいと大前氏。日本政府がクラスターを守れなかったのであれば、各企業がそれぞれ生き残る努力として、より競争力を発揮できるところに進出して何とか生き残って欲しいという同氏の言は、蘇州高新区のさらなる発展を約束するものになるのだろうか。