社員の心をつかみ4年連続、増収増益の道を歩む新日本無線
小倉 良氏、新日本無線株式会社 代表取締役社長
新日本無線といえば、オーディオ/ビデオ(AV)機器用のアナログ半導体メーカー、というイメージが強かったが、今はクルマ/スマホ/産業用の半導体メーカーに変わった。社名に無線という言葉が付くように、マイクロ波技術にも長けている。リーマンショック後の2011年、地デジ特需が終わりAV機器メーカーの凋落と共に同社も大きな赤字に見舞われた。しかし、そこからの回復に目を見張るものがある。2011年度を底に、2012年度以降増収増益の連続で回復させてきた。どん底期に社長に就任し、その後の成長から2015年度には累積赤字の解消も終えた代表取締役社長の小倉良氏にリストラと成長戦略の同時進行物語を聞いた。
小倉 良氏、新日本無線株式会社 代表取締役社長
新日本無線は、2007年、2008年に過去最高の600億円の売り上げを誇っていた。それが2010年3月期には400億円の売り上げで100億円の赤字、2011年3月期に一時的に利益は出たが、2012年3月期(2011年度)には特別損失を計上し400億円の売り上げに対して90億円の赤字に陥った。
小倉氏が社長に就任したのは2011年の6月。自己資本比率は7%を割るまでになっていた。新日本無線の立て直しを図るために就任早々始めたことは、製品や工場の見直し、コストカットといったリストラクチャリングを、労働組合と一緒になって立て直しに取り組んだ。ここで、リストラ(業務の再構築)だけを行っても売り上げは落ちるだけではなく、社員の士気も落ちる。成長戦略も同時に進めなければ、企業の未来は見えてこない。
新日本無線の再建のキモは、リストラと成長戦略を同時に進めたことだ。例えば、将来性のない製品は製造中止し、空いた工場に新規事業を持ってくる。元々3〜6インチウェーハ工場が主体の同社は、8インチ以上の量産はUMCをファウンドリとして使う。半導体技術を活かしたうえで、成長できる製品としてSAW(表面弾性波)フィルタやSiC、GaAs、MEMSなどを用意し、デジタルではなくアナログに徹する、ことを決めた。90nmのデジタル製品はリターンが少なく、競争も激しいだけだったため、財務体力に劣る同社は生産を中止した。一方で急成長したMEMSは2013年から量産を開始、8インチ化も進めた。MEMSマイクの生産量は年間2億個にも達するようになった。
後工程は秩父工場を閉鎖、売却すると共に、佐賀工場(佐賀エレクトロニクス)の生産量を減らし、タイ工場への移管を進めた。秩父工場の閉鎖では希望退職を募り正規社員391名、非正規も含めて合計600人強の人員を削減した。これにより3400名の会社が2800名になった。現在、アセンブリとテストの工程は、製品の91%がタイ工場で行い、残りが佐賀工場となった。佐賀工場はむしろ、新規事業を中心に機能している。
このようにして、労働組合も2011年以前と以後の違いを理解し、リストラだけの在来型事業だけでは成長しないだろうと認識するようになったという。そして、方針をまとめた事業構造改革300日プランを立てた後は、何度となく全国行脚を行い、構造改革の骨子を説明しに事業所を訪問した。社長が現場まで来て改革の説明をすることで、社員が自覚するようになった。「要は、リストラでコストカットし、成長するために新規事業を行ったこと。ただし、新規事業では、顧客が付いている事業かどうかが、見極めるためのカギだ」と述べている。コストカットでは、人件費にも手を付け、給料やボーナスのカットを組合に認めてもらい、業績が回復してもらうまで我慢してもらったという。
このプランを実行した結果、2012年から毎年増収増益という道を歩むようになった。組織的には従来の半導体事業部をSAWも手掛けることから電子デバイス事業部と名称を変えた。増収増益は、自動車向け、産業機器向けが少しずつ伸び、短期的にはスマートフォン用にも伸びたことで右肩上がりを続けることができた。
ただ、誰でも新規事業を伸ばせるものではない。当初は20程度のプロジェクトがあったが、模索しながら落ち着いたのは、SAWとMEMS、GaAs、薄膜抵抗だった。SAWは高周波フィルタがメインの用途だが、モバイルネットワークでさえLTE、3G、HSPAなど周波数が違うとフィルタの数も大きく増え、受信・送信のフィルタも必要であるため、1台のスマホに数十個使うことが常識になった。同様にMEMSマイクロフォンも1台のスマホに2~3個使ってノイズキャンセルを行うため、MEMSマイクの数量は増大してきた。GaAsはスイッチとして送信と受信を切り替えるために使われており、スマホ市場を狙うことで大量の半導体部品が使われるようになった。
SAWの生産能力を増やすと、SAWのファウンドリとしても機能した。また、薄膜抵抗は部品メーカーと協業するようになった。部品メーカーは、厚膜抵抗は得意だが、薄膜抵抗は半導体メーカーの専門性を活かすことで、部品メーカーともスマホ市場向けにコラボできるようになった。スマホでは、SAW+GaAsスイッチは欠かせないため、複数の種類の部品を部品メーカーともコラボしながら、スマホメーカーに提案できるようになった。
小倉氏は社員の心をつかむことにも長けている。リストラで経費節減をやかましく言うと、出張費・交通費は減っていく。しかし、これでは新規開発の情報は入らない。「だからこそ、出張費は稟議書を回さないで使ってよい、ということにした」と同氏は言う。社員は、顧客との話の中で新規受注につながる話が出てくれば、即出張に出たいはずだ。交通費・出張費を使うことで社員のやる気が向上し、売り上げアップにつながれば、安いものだ、という。
また、問題が起きた時は、一人で悩まず、問題をみんなで共有しろと言う。みんなで問題解決に当たれば、一体感が生まれ、次の案件につながり、ひいては会社が面白くなる。小倉氏の狙いはここにある。また、「勝負で言うなら、1対0で勝つよりも5対4で勝つ方が良い。4つの負けから学ぶものが多いからだ」とも言う。
小倉氏の人心掌握術は、社員を引っ張り出し、顧客のところへ行かせることで、社員のやる気を引き出すことにもある。「やれと言ってもやらない社員には特に、顧客のもとに行かせる。社員は顧客との話を聞くと、社員はそれならと想定していた以上に力を発揮する。特に問題が起きると100〜150%の力を出す」とも言う。
同社は社員との意見交換会を開催している。仕事のやり方で問題はないか、構造改革は正しいか、などを常に社員の考えを聞くように努めている。構造改革の当初は社員が動かなかったという。利益が出ていないからお金は使ってはいけない、という意識が強すぎ、節約マインドしかなくなっていた。そこでタイ工場を含め、社員に40回程度アンケートして考えを聞いたという。そのような中から、作業工程でのボトルネックを知り、新たにテスターを購入したことがあった。
タイ工場の運営に関しても、当初は日本からタイ工場に行く日本人出張者が多く、タイから日本への出張との比率は8:2くらいで日本からタイへ行くケースが多かった。それを5:5にせよと号令をかけた。問題が起きた時にタイ人のマネージャーを日本へ呼び、日本の顧客を回らせた。タイ人の経営者は、責任を持っているタイ工場を説明し、問題を自分のこととする意識に変わっていった。最後には、顧客にタイ工場へ呼び見てもらうことで信頼を勝ち取ったという。タイ工場の経営者に品質を重視し、問題が起きた時は自分たちがお金を使い対策を立てるように指示したという。
UMCとの付き合いは、2008年ごろから始まった。当初はUMC Japanと係わってきた。しかし、生産能力が低くUMCは日本の工場を閉鎖した。しかし、これでは顧客の事業を継続できないため、製品をすぐさま台湾へ移転できるように要求した。UMCにとってもクルマ向けの製品は手掛けていなかったが、新日本無線とコラボすることでクルマ用半導体製品を生産できるようになったとしている。
新日本無線の増収増益は2016年も続くようだ。2015年は、予算よりも売り上げ・利益が超えたため、組合が提示したボーナス金額よりも高い数字を示したという。小倉マジックの人心掌握術は広がり続けている。