Semiconductor Portal

HOME » ブログ » インサイダーズ » 長見晃の海外トピックス

市場&対策実態/工学探究に挑む若さ/グローバル雑学王−32

若さに溢れた新しいエネルギーをどう取り入れていくか、どの分野でも本当に重要なテーマであると思う。若い世代が熱中、集中するような魅力づくりを如何に行うか、まさに今後の盛衰、成否を決することと、今回頭の中を駆け巡るメインテーマになっている。

≪市場&対策実態≫

まずは、現下の実態をアップデートするここのところ定番とならざるを得ないコーナーである。

◇72兆円規模の米景気法案、上下両院が可決。 (2月14日付け NIKKEI NET)
→米上下両院が13日の本会議で約7870億ドル(約72兆5000億円)の景気対策修正法案を可決、オバマ大統領が近く署名し同法は成立する見通しの旨。オバマ政権が最優先課題に掲げてきた景気対策が決着し、米経済政策の焦点は金融安定化策に移る旨。一方、バイアメリカン条項(米国製品優先購入)を維持しており保護主義への懸念が残る内容となった旨。
対策の規模は過去最大、昨年2月に関連法が成立したブッシュ政権の景気対策の5倍近く、米国の名目国内総生産(GDP)の5.5%程度になる旨。景気下支え効果は公共事業の執行などが始まる年後半から徐々に表れてくる見通し、対策の早期実施が課題になる旨。

この採決には以下のエピソードが付いているが、待ったなしの勢いで進めざるを得ない雰囲気を感じている。

○米景気法案の上院可決、「最後の1票」に5時間待ち
→オバマ米政権の最重要課題である景気対策法案で、民主党は13日の上院本会議で可決に必要な「最後の1票」のため、本会議を数時間、開きっぱなしにする策を余儀なくされた旨。薄氷の成立が、綱渡りの議会運営を象徴した旨。

半導体市場に目を遣ると、昨年最終四半期の落ち込みが如何に大きいかを示す内容が続いている。

◇DRAM revenue expected to fall 15% in 2009 -The industry's Q4 operating loss of $2.6 billion alone exceeded the $2.1 billion operating loss for the full year of 2007, according to iSuppli.(2月13日付け Electronics Design, Strategy, News)
→12月四半期のグローバルDRAM市場売上げ$4.2B、2008年間では$23.6B、2009年にもインパクトが引き続く旨。

◇Wafer area shipments show first decline in years, SEMI reports(2月12日付け Electronics Design, Strategy, News)
→Siウェーハ業界の年間推移データ、下記参照。
≪世界Si≫    2002  2003 2004  2005 2006 2007  2008
Area出荷 (MSI) 4,681 5,149 6,262 6,645 7,996 8,661 8,137
[M平方インチ(MSI)]
売上げ(B$)    $5.5  $5.8  $7.3  $7.9  $10  $12.1 $11.4
  * 半導体応用のSi
[Source, SEMI, Feb 2009]

◇Updated: IC-packaging houses see red ink  (2月12日付け EE Times)
→実装各社の第四四半期売上げ:  前四半期比  前年同期比
 Amkor           $549M    24%減     27%減
 ASE            $536.8M   29%減     37%減
 SPIL            $377.5M  27.8%減    29.8%減
 STATS ChipPAC Ltd. $324.6M  31.3%減    31.9%減

今後に向けて元気づく展開がどうしてもほしくなるが、今回はインテルから以下の内容が見られる。

◇Updated: Intel to spend $7 billion on 32-nm production in U.S. (2月10日付け EE Times)
→最近のレイオフにも拘らず、Intel社が、向こう2年にわたって米国のfabs(Oregon, ArizonaおよびNew Mexico)の建設あるいは拡張に$7B投資する計画の旨。

32-nmが将来技術の主軸になるかと思うが、注目のISSCC(International Solid State Circuits Conference) 2009(2月8-12日:San Francisco)の場では次の論点となっている。今後に注目である。

◇Intel lists five challenges for IC scaling (EET)(2月9日付け EE Times)
→Intel社(Santa Clara, Calif.)のIntel senior fellow and director of process architecture and integration、Mark Bohr氏が挙げる32-nmノード以降についての5つの障壁課題:
 1. Patterning or lithography
 2. Transistor options
 3. Interconnect options
 4. Embedded memory
 5. System integration


≪工学探究に挑む若さ≫

Mark Shepherd氏(1976年から1988年までTexas Instruments社のchairman)ご逝去の記事を見て、こんな方もいらっしゃるのか、こういう方が草創期の半導体事業を引っ張ってこられたお一人か、という感じ方になっている。小生ながらに抜粋して以下の内容である(2月9日付け Electronic News)。先週86才でお亡くなりになったとのことで、1923年のお生まれかと思う。

○Shepherd氏の才能ぶりは若くして始まっている。小学校を4才でスタート、6才で車庫にて真空管を作っている。14才で高校を卒業してから、Southern Methodist大学で奨学金をもらって勉学、1942年に電気工学学位を優等で卒業している。

Shepherd氏はGeneral Electricでの設計エンジニアとして職業キャリアをスタートし、その後米国海軍の大尉を3年間務め、レーダーおよびエレクトロニクスmaintenanceを専門としている。

兵役の後、Shepherd氏はIllinois大学で勉学、1947年に電気工学の修士号を得ている。同年にFarnsworth Television and Radio社に入り、技術開発プロジェクトで働いている。1年後、同氏はTIの前身、Geophysical Servicesに移っている。

Shepherd氏のTIでの経歴は、設計エンジニアからchairman of the boardまで駆け上がっている。1953年にchief engineerになってから、1954年に半導体コンポーネント事業部のassistant VP and general managerに、1955年にはVPに昇進している。

・・・

同氏の業績はTIの内外で高く評価され、1962年にはLife magazineが、"トランジスタ大量生産の開発を引っ張り、TIを世界をリードする半導体メーカーにもっていった"として、国家の最も重要な若い人たち100人の一人にShepherd氏を指名している。                   ○

若くして電気・電子工学の道にまっしぐらのめり込んだ人生というものを受け止めている。小生は2-3世代後になると思うが、同じ半導体の道を歩んできて、本当に面白く熱中できて今日に至っているという思いがある。このような方々のお蔭かと感じる一方、"半導体は面白い!"という感じ方がぜひとも続くことを願うものであるが、このほど恒例開催のISSCC 2009から以下の記事に特に注目させられている。

○Comment: Engineering is not boring(2月13日付け EE Times)

私は、世界のイノベーションの都、Silicon Valleyからすぐ近いところで育った。電子機器の内部をいじくり回すのが好きであった。8才のころ、父親がTandy TRS-80 Color Computerを家に持ち込んだ時から、コンピュータを嗜んだ。しかしながら思い起こす限り、電子工学を探求するよう勧めた人は今まで誰もいない。

もしJohn Cohn氏の話を20年前に聞いていたら、事態は違っているかもしれない。月曜、2月9日にInternational Solid State Circuit Conference(ISSCC)で行われた約1時間のプレゼンで、IBM FellowのCohn氏は、すぐさま鳴り響く簡単なメッセージを発信した。すなわち、子どもたちは工学を勉強する興味がなく、工学を愛する人びとはそのことについて何かを行う必要がある、と。

同氏はまた二次的なメッセージ、"工学は退屈なものではない"を送っている。

Cohn氏は、ここ20年間世界的に工学系の学生数が減ってきていることを憂慮している。同氏が工学を愛し、また現在そして将来に人類が直面する難題を打開するのに役立つ工学に入っていく聡明な知性を世界が必要としている、だからこそである。学生数減少とは別に、業界としてそれに取り組む女性および多国籍の人々を十分に惹きつけられないことを不安視している。          

・・・・・                        ○

比較的若い世代の記者の論評記事と受け止めるているが、このIBM FellowのJohn Cohn氏、絞り染めのlab coatをまとっての講演ということで、以下に写真があり、説得力を増しているのかもしれない。

https://i.cmpnet.com/eetimes/eedesign/2009/cohn_john200_v2.jpg

同氏は、米国に限らず世界中で工学系の学生が減少傾向にあり、例外は中国とインドくらいのものと、危惧感を表している。確かに我が国でもその通りという理解であり、電気・電子工学科志望定員が満たないという事態はいまだに本当かという思いがある。"半導体は面白い!"こそ熱中、集中、そしてインテル社アンディ・グローブ氏のParanoid(病的なまでの心配性)が醸し出されてきて大きく花開く原動力、エネルギーになっていくということと感じている。

最近の男子ゴルフ、女子フィギュアスケートなど、本当に若い世代のスター選手たちが人気を盛り上げているが、その弾む活躍ぶりを見ていると、半導体・デバイス業界も当面する環境問題のみならず、若い世代を引き付ける魅力溢れる面白さいっぱいの環境づくりランクアップが非常に重要と、ますます感じるところがある。


≪グローバル雑学王−32≫

イスラーム紛争が如何に世界広範囲に浸みわたっているか、

『イスラームの世界地図』(21世紀研究会 編著:文春新書 224)

のタイトル通り、世界各地の紛争に焦点を当てた今回の内容である。昔の過ぎ去ったことではない、まさに今の世界の息吹、底流を左右する震源という改めての感じ取り方である。

◎イスラーム紛争の世界地図

[ソ連のアフガニスタン侵攻]
・19世紀のアフガニスタン …イギリスとロシアの板挟み
・複雑なアフガニスタンの民族構成 《1993年時点》
 パシュトゥーン人                     36%
 タジク人                          26%
 ウズベク人、ハザーラ人(中央アジア・トルコ系)  10%
 その他の少数民族
  →ほとんどはイスラーム教徒で、シーア派が20%、スンナ派が80%
・1979年、アミン政権が強引に共産主義に向かい、伝統や慣習を無視した政策に国民が反発。
  ↓
 1979年12月、ソ連がアフガニスタンに侵攻
  ⇒1980年モスクワ・オリンピックのボイコットなどの波乱
・オサマ・ビン・ラディンもこのとき、サウジアラビアからの義勇兵としてアフガニスタンのゲリラ活動に参加。
・すべてを力で押し通そうとするソ連も、結局、1989年に撤退を完了。
・1992年にゲリラ連合による暫定政権が成立、内戦がより激しいものに。

[タリバンの登場]
・内戦を続けるアフガニスタンに興味を示したのはパキスタン
 →インドと戦争状態になったときに連合する必要
  ⇒タリバン(「神学校学生」の意)の結成を支援
・1994年8月、ムハンマド・オマル師を中心とした神学校学生がアフガニスタンで決起
 →南部のカンダハルを拠点に、国土の30%以上を制圧
・一国だけの問題として片付けられないアフガニスタン問題
 →周辺諸国の思惑が、アフガニスタンの国内情勢をさらに複雑に
・アメリカ・イギリスの連合軍が北部の反タリバン勢力を味方につけて、タリバン勢力を押さえ込み。

[国際テロの黒幕]
・オサマ・ビン・ラディン
 →イスラーム過激派の諸グループと接触、国際テロのネットワークを作ったといわれる。
 →1996年にはカンダハル近郊に潜伏、アル=カイダを組織。

[アメリカが迎え入れたアフガン義勇兵]
・1980年代の中頃、ニューヨークのブルックリン地区に、中東からの移民のためのアル=キファハ難民センターが、ムスタファ・シャラビによって創設。
 →アメリカ国内でイスラーム原理主義組織が根を張りだしたのはこの頃から
・アメリカでは、アル=キファハ難民センターとアル=サラーム・モスクが、イスラーム過激派の拠点に。

[ソ連の解体とイスラーム国家の誕生]
・独立に向かった国々の中:
 イスラーム教徒の多い中央アジアの五カ国=カザフスタン
                            キルギスタン(後のキルギス)
                            トルクメニスタン
                            ウズベキスタン
                            タジキスタン
                  カフカース地方のアゼルバイジャン

[イスラーム回帰を求めたチェチェン]
・ロシア国内にありながら、スンナ派イスラーム教徒の多いチェチェン
 →ロシア軍は今も駐留を続ける

[国をもたないクルド人の運命]
・クルド人 =「強い人」の意とのこと
       …イランとイラクの北部国境地帯からトルコ東部に居住する山岳遊牧民
       →ほとんどはスンナ派のイスラーム教徒
・17世紀に、国境線の画定によってクルド人の居住地が分断。
 →クルド民族の分断の始まり
・現在は、分断された人びとの間で、時間の経過とともにそれぞれの目指す方向が変わってきており、解決の方向が全く見えていない。

[中国が恐れる伊欺蘭(イースーラアン)の反乱]
・中国全土で1000万人を超えるイスラーム教(伊欺蘭教[イースーラアンジヤオ])徒がいるといわれる。
・1950年代以降、中国西域にも漢民族の流入が続き、イスラーム教徒の居心地は悪くなる一方。

[アジアのイスラーム問題]
・フィリピンのイスラーム教徒 …モロと呼ばれる
 →わずか4.3%(約320万人)のイスラーム教徒が求めていることもやはり独立。
 →ミンダナオ島にイスラーム国家の建設を求めている。
・マレーシア 
 →マレー人(主なイスラーム教[国教]信者)の経済的向上を目指す優遇政策(ブミプトラ政策)
 →マレー人の優遇は、つまりイスラーム教徒の優遇に
・さらに複雑なインドネシアの事情:
 スマトラ島北部のアチェ特別州 
  →分離、独立、イスラーム国家建設の動きが活発化

[ユーゴスラビアの解体]
・冷戦の終結、ドイツの統一 
 →新たな枠組みを求めて、湾岸戦争、旧ユーゴスラビアでの内戦勃発
・旧ユーゴスラビア 
 …イスラームのオスマン帝国とキリスト教のハプスブルク帝国が覇権を争った地域:30以上もの民族が暮らす地域
・クロアチア人のチトー大統領の強力なカリスマ性
 →クロアチア人だけを優遇することなく、実現できた平和
・チトー大統領、共産主義という2つの枠組みがなくなったとき、一気に分裂が始まる。
 ⇒セルビア・モンテネグロ
  クロアチア
  スロベニア
  ボスニア・ヘルツェゴビナ
  マケドニア
・今も民族、宗教を巡って緊張状態が解けず。

[アフリカとアメリカのイスラーム]
・サハラ沙漠南西部のマリ王国にイスラームが到達したのは12世紀頃、海岸部でイスラーム化が起こったのは13世紀頃。
・アフリカのイスラーム教徒は、アフリカ総人口の40%近く、1億数千万人から2億人とも。
・アメリカ合衆国のイスラーム教徒は、人口全体の約2%強、700万から800万人くらいか。
・アメリカ特有のイスラーム集団 
 →一つに、ネーション・オブ・イスラーム。モハメド・アリもかってメンバー。

ご意見・ご感想