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量子産業技術の知的財産戦略(前編)

産業発展には確固とした知的財産戦略が必須である。これまで、筆者は半導体技術者としてキルビー特許や、その分割特許でサブマリーン特許群と称された特許に悩まされた。同様な経験をした読者も多数居られると思う。これからは、来るべき量子産業時代に備えて、量子産業知的財産戦略をしっかり整えておくことが重要であろう。知的財産戦略は産業に欠くことができない重要戦略の一つである。本稿では量子産業技術に関する知的財産戦略に関して私見を記述する。

広く活用される量子産業知的財産戦略を練る必要

前前報(参考資料1)と前報(参考資料2)で現在のAI半導体の発熱や消費電力の壁を乗り越えるには量子技術が有力候補であるとして、現時点での日本の量子産業技術の概略を述べた。特に後者では2020年に内閣府統合イノベーション戦略推進会議から公表された「量子技術イノベーション戦略(最終報告)」(以下内閣府戦略と記す)(参考資料3)に沿って、そこに記載されている項目の5年経過後の実績を中心にまとめている。OPIE’26(参考資料4)の展示を見てもいくつかの項目ではそれなりの成果は出ており、しかも内閣府戦略にあるロードマップの項目以外にも成果が出ていることがわかり、関係者のご努力に敬服した。

内閣府戦略には、知的財産戦略第4章(1)に章としてはあるものの、その中身は、単に「先行している国や企業はオープン・クローズド戦略(参考資料5)をとっているので、我が国もオープン・クローズド戦略を促進せねばならない」と書かれているのみである。しかも上記のように知的財産戦略は重要戦略であるにもかかわらず、内閣府戦略は本文全29ページの中のわずか半ページに数行記載されているだけにすぎない。付属している技術および融合領域ロードマップ全21ページの中や、参考資料全12ページの中にもそれらしき記載は見当たらない。先行する国や企業と同じ戦略で、果たしてこれで日本はトップグループに入れるのだろうか。素朴な疑問を感じざるを得ない。

その後2023年4月にも内閣府科学技術・イノベーション推進事務局より「量子未来産業創出戦略概要」(参考資料6)として全23ページもの資料が発表されている。そこでは2030年の目標も踏まえて目指すべき産業の方向性が述べられているが、要素技術主体の記述で終わっている。知的財産戦略としては、グローバル連携・展開の中で「知財におけるオープン・クローズド戦略の徹底」とわずか一言記されているだけである。同資料のワーキンググループの議題を見ていると、それは2023年2月の第8回目有識者ヒアリングで審議された「標準化知財化・ベンチマーク設定」の議論が基礎になっていることは窺えるが、詳細戦略の説明は依然として見当たらないという状態が継続している。

内閣府戦略や量子未来産業創出戦略立案者の皆様は、筆者が足元にも及ばない、そうそうたる実力者である。その皆様が知財戦略を軽視しているとは到底思えない。それほどまとめにくく、難しい課題なのだと認識しなければならないのだろう。戦略を練る以上、できるだけ広範囲の関係者に活用されるものが、国の力を高めるためには必要である。

妙案はあるのかと尋ねられると、確かに難題であることは筆者も認めざるを得ない。しかし仮に同じオープン・クローズド戦略をとるにしろ、そこには先行している国や企業に劣らない、別の観点からの新たな工夫を加味することが必須であろう。そうでなければ先行国家や企業が皆揃って足踏みをしない限り、我が国や企業は、もはや絶対にトップグループには入れないことが自明だからである。

そこで本稿では前編で大企業でのオープン・クローズド戦略の例として主にIBMの事例をまとめ、次いで中小企業では、オープン・クローズド戦略がそう簡単には実行できない理由を、筆者の実体験に基づいた事例で述べる。そして本稿後編では、そのような背景を受けて、知的財産戦略策定を見直していただく際に考慮していただきたい主な3点に焦点を絞り、私見を述べさせていただく。国としての知的財産戦略策定の場合のみならず、それぞれの企業や国研、大学高専などで知的財産戦略策定を行う場合も、本稿を少しでも参考にしていただければ幸いである。


大企業のオープン・クローズド知的財産戦略の概要

先ず事例として、先行するIBMの知的財産戦略を概観してみよう。IBMが知財戦略を量から質へ大きく転換していることは、既によく知られている事実でもある。紙面の都合で各参考資料の詳細は省略するが、以降、御多忙の読者が流し読みをされても概略はお分かりいただけるように記述したつもりである。

具体的に数値を見ていただいた方が分かりやすい。例えば鴫原正義氏は米国IFI Claims Patent Servicesを引用して、過去10年間にわたる米国の特許取得件数推移をまとめている(参考資料7)。その表によると、2016年-2021年のデータではIBMがトップだったが、2022年は2位に、2023年は4位、2024年8位、2025年11位と下げてきている。このことからもIBMの知財戦略が変わってきていることが数値の上ではっきりと見て取れる。

IBMの過去の知的財産戦略に関しては、少し古いが日本IBMの竹内誠也氏と上野剛史氏のよる論文(参考資料8)に詳しい。そこにはオープンイノベーション戦略とプロパテント戦略の組み合わせが説明されている。参考資料7のデータの時間軸で初期の頃は、その実績を示すデータの一例として捉えればよい。

更に近年になると、IBMは「ハイブリッドクラウドとAIへの集中投資へ」と戦略をはっきり変革している。その成果に関する詳細な分析はTechnoProducerの「AI活用ディープリサーチレポート(2025/12/03)」(参考資料9)に詳しいので、興味ある読者はそれをご覧いただきたい。参考資料8は10年間のデータであったが、参考資料9はもう少し長期間の動向を基にしている。

そこでは29年間にわたる米国特許取得数で維持してきた首位の座を捨ててまでも、戦略的に資源の再配分を成し遂げようとしている戦略とその成果が、多方面から分析されている。その戦略変換が長期的に見て評価されるか否は後の世の歴史家に委ねるにしても、少なくても現時点では参考資料9にあるような多くの面で利益が出てきているので成功と言えるだろう。将来量子時代にもそのままこの戦略が維持されるのか、あるいは更に改革されるのかは不明であるが、これが大企業のオープン・クローズド戦略の良い事例の一つである。


中小企業が直面する事情との戦略立案上の制約

IBMのような大企業は過去積み上げた知的財産の蓄積も豊富なので、クロスライセンスなどの交渉力を使えばオープン・クローズド戦略をとる場合の選択肢や自由度も大きい。しかし中小企業やスタートアップ企業はそう簡単にはいかない。筆者は第2の人生を過ごした中規模の企業で、その事例を見て来た。

具体的に説明した方が分かりやすいだろう。その事例では、積年の研究成果が実り、圧電セラミック材料を使った画期的な新デバイスが手の平に乗っていた。試作段階を踏み、そして生産ラインを構築して、作業者も整えた段階にまで到達できていたにもかかわらず、量産開始直前に他企業の先行特許が見つかり、遺憾ながら撤退せざるを得なかったというケースである。相手の企業とクロスライセンスできるほどの十分な知的財産を有していれば、解決策もあったろうが、中小企業のスタートアップ事業で、相手企業に対抗できる知的財産の蓄積を持たない場合は、オープンやクローズの戦略どころか、クロスライセンス交渉すらままならない。開発技術者のグループや知的財産部門などの関係者の悔しさも一方ならぬものだったと思う。

そこに至ったそもそもの原因は、突き詰めれば先行技術調査の不足であった。いかなる場合でも、技術者たる者は自分の担当分野に関する特許マップを常に頭に入れておく必要がある。今ならAIで先行技術調査ができるが、当時の人知による検索力では見落としもあったのだろう。このたび、筆者はOPIE26でイノベーションリサーチの武藤謙次郎氏の出展社技術セミナ(参考資料10)を聴講する機会があった。特許マップ作成による技術動向調査の講演であったが、作成した特許マップの使い方や解釈の方法は、拙著(参考資料11)の時代からあまり変化していないものの、先行特許の収集や特許マップ作成時間が、AIの活用で大幅に短縮されていると実感できた。今やAIの活用は調査に必須の時代になっている。

続いて、更に規模の小さな企業の例を述べたい。筆者は上記の第2の人生を送った企業で、分社化されたテクノサービス会社も担当していた。地域の小企業からの知的財産調査要望やコンサルタントの要請が寄せられたときに、本社では定款の枠があるのでそれを超えた業務はできないが、分社化された別会社では、その業務が定款に明記されていれば、経験豊かな本社社員を出向者に迎え入れてその業務が可能になる。ここではその子会社でのコンサルタント事業の例である。

具体的な事例を述べよう。料理研究家として電子レンジを使った各種料理法を考案し、知的財産権出願にも熱心に取り組まれていた千葉真知子氏による発明の、ビジネス特許明細書案作成をお手伝いした時の事例である(参考資料12)。千葉氏は現在も国内外で大活躍されているが、企業規模としては個人企業レベルである。アイデアでも特許になるかとの問い合わせだったと記憶している。千葉氏に対する支援は地域振興にも尽力していた親会社の上司の依頼でもあった。上記テクノサービス会社には弁理士の資格を有する社員が在籍して居なかったので、法律上、弁理士業務は行えない。そこであくまでもボランティアとして協力した。

千葉先生のビジネス特許のアイデアは「カンファレンス斡旋ビジネスシステム」という名称で、その内容は「人と人とのコミュニケーションを援助するカンファレンス斡旋ビジネスシステム」である。詳しくは参考資料12をお読みいただければ分かるが、当時使われ始めたインターネット等の情報通信網を介するカンファレンス斡旋ビジネスシステムであった。現在のZoomやGoogle Meetと同じか、あるいは類似のビジネスで、ネットを利用して顧客がカンファレンスを行えるようにして、仕事がうまく進むように図るビジネスである。

筆者は明細書用として特許の全体構成図と、実施事例として大学病院で内科と外科がこのシステムを使い、それぞれの医局を結んで合同カンファレンスを行い、手術前の討議をする事例の図面作成などを支援した。この間の経緯は拙著(参考資料13)にも詳細に記述しているが、当時筆者は開胸手術を受けた経験があったため、事例として書きやすかったこともある。もちろん筆者も弁理士の資格がないので、弁理士業務はできない。そのため素案完成の段階で、しかるべき弁理士に相談されるか、あるいはご自分で出願されるよう千葉氏に勧めて、手を引かざるを得なかった。その後は特許庁の書誌データを見ると、2001年に出願され2002年に特許公開広報まで進んだものの、残念ながら(出願の)却下・拒絶 (出願の拒絶・却下)になったと記録されている。

今はZoomなどのアプリを使えば、使用者が自分で在宅のまま会議を行える時代である。仮に千葉特許が成立していたとしても出願から20年以上も経過しているので、特許権も消滅している。しかし一方では、現時点でもZoomなどのアプリ使用者は少なからぬ使用料を支払っている。しかも千葉氏出願後でも、2006年にヤマハから「音声会議装置や音声会議システム」(参考資料14)が出願され、これは特許として成立している。更に最近でも2024年鹿島建設から「オンライン会議サーバおよびオンライン会議を提供する方法」(参考資料15)が出願されている。従って千葉特許も分割等の手段で生き残っていれば、大いに日本のために活躍できたであろうと思うと、筆者は定年で最後までコンサルタント業務ができなかったことに、いささか忸怩たる思いもある。参考資料14などに倣って、「斡旋」という言葉を外して「支援」にするか、あるいは別にシステム特許を分割出願しておけば、また異なる展開があったのかもしれない。

このような個人企業の場合にオープン・クローズド戦略やクロスライセンス交渉はできるであろうか。発明者の千葉先生は電子レンジを使った料理方法では特許をお持ちであったが、通信網を使った知的財産は所持していなかった。このケースのような場合は単にオープン・クローズド戦略促進を唱える前に、国としてやるべきことは何かを考えねばならないと思う。

量子産業時代になってもこのようなスタートアップ企業は多数生まれ、活躍するであろう。総合的な国力増進を考えた場合、そのような中小企業、スタートアップ企業のためにも通用するような知的財産戦略が求められている。以上の事例や要請を背景として、後編では量子産業時代の知的財産戦略策定の際に、特に考慮して頂きたい3つの側面から、私見をまとめる。

参考資料
1. 鴨志田元孝、「量子技術の実用化を見据えて」、セミコンポータル、(2026/03/27)
2. 鴨志田元孝、「日本の量子産業技術戦略と現状」、セミコンポータル、(2026/05/29)
3. 「量子技術イノベーション戦略(最終報告)」、内閣府統合イノベーション戦略推進会議、 (2020/01/21)
4. OPIE'26 (2026/04/22―24)
5. 「『オープン・クローズド戦略』事例集」、経済産業省、(2026/02/17)
6. 「量子未来産業創出戦略 概要」、内閣府科学技術・イノベーション推進事務局、(2023/04/14)
7. 鴫原正義、「2025年の特許ランキング」、OPTRONICS、No.532、pp164-165(2026年4月)
8. 竹内誠也、上野剛史、「イノベーション推進のための知財戦略」、日本知財学会誌、Vol.5(No.2)、pp17-26、(2008)
9.TechnoProducer、「IBMの知財戦略:ハイブリッドクラウドとAIによるプラットフォーム転換と特許ポートフォリオの再構築」、AI活用ディープリサーチレポート(2025/12/03).
10. 武藤謙次郎、「特許データとAIをフルに活用した技術動向・競合分析サービスのご紹介」、OPIE’26量子イノベーションフェア出展社技術セミナ、(2026/04/24).
11. 鴨志田元孝編著、武信文、山崎拓哉監修、「これからの知的財産実務」、税務研究会出版局、pp.150-162、(2007)
12. 千葉真知子、「カンファレンス斡旋ビジネスシステム」、特願2001−182279、特開2002-373206、
13. 鴨志田元孝編著、武信文、山崎拓哉監修、「これからの知的財産実務」、税務研究会出版局、pp.211-218、(2007)
14. 発明者 畑紀行、他4名、「音声会議装置および音声会議システム」、ヤマハ株式会社、特願2006-330318、特開2008-147822、特許第5055987号(P5055987)、(2012/08/10)、但し特許消滅 (年金不納による特許権の消滅)
15. 発明者 島啓志、他2名、「オンライン会議サーバ、及び、オンライン会議を提供する方法」、鹿島建設株式会社、特願2024-32941、特開2025-135227、(2025/09/18)、現時点で未請求

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