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シリコンコリドーの開通を願う―災害に強い日本列島半導体エコシステムに向けて

日本の半導体復活のためには人材育成が欠かせない。これまで米国の政策などを紹介してきた(参考資料1)が、今になっても、誰が、どこで、いつまでに、何をやって、人材育成を実行するのか、逆にその計画なり戦略を実行すれば本当に人材育成ができるのかというところまで煮詰めた具体策が、ネットを探しても、はっきり見えてこないのは、まだ筆者の検索能力が不足しているからだろうか。

常々そう思っているときに2024年4月4日-6日の朝日新聞朝刊で「みちのくの半導体 上中下」を読んだ。そこにシリコンコリドーを目指すという東北大学遠藤哲郎教授の力強いメッセージを見出し、僭越ながらぜひエールをお送りしたいと感じたので、以下に所見をまとめてみたい。

コリドーという言葉に惹かれたわけではないが、柳田邦男氏の「ガン回廊の炎」第1部に「無線の船旅」と題して、超音波診断装置の草分け時期における順天堂大学の和賀井敏夫名誉教授の苦労話が出てくる(参考資料2)。和賀井教授は日本における超音波診断法の創設者のお一人で、1975年に朝日賞、2006年に学士院賞を受賞されている。1956年1月に米国MIT(マサチューセッツ工科大学)のR. Bolt教授から第2回国際音響学会招待講演に招かれたが、当時和賀井先生は順天堂大学の無給助手なので旅費が無い。そこで貨物船の船医として渡航することになり、「『ヒッチハイク』で極東からきたドクター」とボストンの新聞に報道されたという話である。今とは時代が違うと一笑に付す読者もおられるかもしれないが、ここでは何か新しいことをやるときは、先ずこのような炎のような気構えが必要なのだということを指摘したい。これは今も昔も同じと考えるからである。

もう一つ、吉田直哉著「私伝・吉田富三―癌細胞はこう語った」に出てくる話を紹介する(参考資料3)。著者はNHK大河ドラマ「太閤記」や「源義経」、「樅の木は残った」の演出と、同じくNHKドキュメンタリー「未来への遺産」のディレクターとして著名である。この著書は御尊父吉田富三博士に関する伝記であり、その一節に吉田肉腫の発見を通して得た博士の教訓が記載されている。そこでは「仮説はいくつかの実験事実を生み、その事実が、逆に仮説を批判する。仮説はいくらか修正され、限定される。このダイナミックな動き、つまりバランスを求める動きが、進歩というものである」と記されている。こうあるべきだという遠い目標を基に、まず仮説を立ててやってみて、その都度仮説にダイナミックな修正を加えていけば進歩するという考え方である。

人材育成は至難の業で、正解はないかもしれないが、人材育成という遠い目標に炎のような熱意を持って当たり、こうすればできるだろうといういくつかの仮説を立てて、まずは実行すべきだということを示唆していると思う。遠い目標はそう簡単に間違うものではないが、実施段階では間違いも生じる。それでも反省し修正すればよい。それを継続するのが進歩である。

さて日本の半導体産業が勃興した時を思い起こすと、当時各大学にはカリスマ的な教授が居られ、日本の学術研究や開発を先導された。先の東北大学では西沢潤一教授、そして東京大学では菅野卓雄教授、また大阪大学では難波進教授、等々文字通り多士済々のメンバーが学界を牽引し、また産業界からもこれらの研究室に大勢の技術者が派遣されて、互いに研鑽を重ねた。まさに「人材や技術の最初の源泉は大学にある」ということの実証であった。翻って現在そのような炎は燃えているのだろうか。行く道を照らしているだろうか。

西沢先生は海外でも半導体のエジソンと言われるように、数々の発明をなされたことは改めて記すまでもない。西沢先生は毎年蔵王で講習会を開催し人材育成にも多大な貢献をされた。また菅野先生もデバイスやプロセス技術、特にMOS構造に明るく(参考資料4)、多くの著者を通して教育に尽力された。難波先生の荷電粒子の実用化には多くの実証がなされ、理研シンポジウムとして行われたイオン注入技術の講演会には大勢の技術者が集まって議論した。こう考えると先達となった教授達はそれぞれの独自の研究実績を基に人望を集め、学界、業界を先導しておられたと言えよう。

遠藤教授は舛岡富士雄名誉教授とともに現在GAA(Gate All Around)型MOSFETと呼ばれている柱状構造デバイス理論の草分けとして活躍され、半導体ナノワイヤ構造デバイスや三次元デバイス、特に3D-NANDメモリに通じる研究実績も持つ牽引者である。同じ東北大学の大野英男教授(前総長)はMRAMデバイスを更に発展させたスピントロニクス分野を牽引しておられる研究者としても著名である。現在、遠藤教授は大野教授と共に、このスピントロニクス省電力半導体の研究開発のため国際コンソーシアムを構築している。加えて、遠藤教授は、東北大学発ベンチャー企業であるパワースピン株式会社を創業している。また同大学名誉教授の江刺正喜先生はMEMSの研究者であり、産学協同のコインランドリーを構築されている。大見忠弘名誉教授は半導体製造技術の研究を通して、半導体製造装置業界に貢献された。このように実績が伴わなければ人は集まらないし、人材教育はできない。確かにこう考えると遠藤教授の言われる通り東北大学には基礎理論から応用技術に至るまで多くの研究者が揃っており、エコシステムを構築できる環境が整っている。

城山三郎の「よみがえる力はどこに」の中に日本シルバーボランティアズ派遣第一号の半田浩三の話が出てくる(参考資料5)。マレーシアの、人を寄せ付けない少数山岳民族のいる土地で、その土地に合う作物を作らせるため、立ちふさがる壁に挑戦しつつ、とにかくやり続けたそうである。人は先達の背を見て育つ。人材育成もそういうものかと思う。

しかしここで注意しなければならないことは、いくら立派な製造ラインを作っても、いくら立派な作業者を育成しても、そこで生産するものがなければ倒産するという事実である。これを筆者も身をもって経験したので、マーケットリサーチの重要性(参考資料6)を強調し、技術者、作業者の教育のみでなく、企画、管理教育も忘れないように肝に銘ずべきことを指摘しておきたい。

更にまた、これも昔話になるが、半導体で日本企業が海外に進出した時代があった。筆者も英国勤務でその一端を担い、全精力を傾けて半導体前工程から後工程までの一貫生産ラインを構築した時代の人間である。進出した当時は後に日産自動車が英国に進出するまで、日系企業で最大の投資額でもあったこともあり、英国政府からは補助金を頂き、インフラを整備してもらって、エリザベス女王が開所式にご臨席されたほど歓迎を受けたのに、10年後に親会社の命であっさりと撤退させられてしまった。今やその英国工場の会社も建物も存在しない。筆者の出身元だけでなく日本の半導体企業も同様で、すべて撤退している。逆に、海外企業が日本に進出してくるということは、親会社次第で、あるいはその時の経済事情で、即撤退もありうるということを覚悟しておかねばならないという厳しい現実でもある。

それを防ぐにはどうすればよいか。今は進出してくれる海外資本に感謝をしなければならない。しかし次はその親元の海外資本に感謝される日本工場にならねばならないし、そうなるような努力が必須であるということである。親会社に日本に進出したが失敗だったと思われる、あるいは日本工場を売却したほうが得策だという判断が下されると、撤退も素早く行われるのが、経済原理の怖さであり、非情な側面でもある。

半導体産業の発展には継続した投資が必須であり、その投資には元となる利益が必要である。従って外資により日本に設立された工場では、利益を出し、自らの力で、半導体事業の発展に欠かせない投資ができるように経営する必要がある。トップマネジメント教育とその人材育成、必要ならそのようなトップマネジメント間の交流も考える必要があることを強調したい。筆者が第2の人生を送った企業では子会社のテクノリサーチ会社の運営責任も持たされたが、同業他社の社長間交流を行う技術情報サービス協会ATIS(参考資料7)の存在は大きく、そこから受けた無形の恩恵も大きかった。

人類に必要な半導体デバイスを継続的に供給して、社会に貢献するという将来像を描き、炎のような情熱で、例え試行錯誤であっても、とにかくあらゆる分野での人材育成を始めて頂きたいと心から願う。コリドーに明るい炎を燃やし、かつそのようなコリドーの道幅を広く、長くして、発展的に日本列島全体に半導体大動脈網を構築することを期待したい。そうすればたとえ一ヵ所に地震や津波、あるいは火災などの災害が発生しても、そのような大動脈網を通したサプライチェーンができるだろうし、災害に強い半導体列島ができ上がり、世界中に恒常的に半導体を供給できるようになるのもあながち夢ではない。それにはトップマネジメント教育から、企画、販売、生産分野に至るまでの、幅広い、かつ継続的な人材育成が求められる。そしてその人材教育には大学が源泉として欠かせないことを強調したい。

<謝辞>
本稿は遠藤教授の懇切丁寧な査読を経た。またいつもの通り津田編集長の査読をお願いした。ここに記し厚く御礼申し上げたい。

参考資料
1. 鴨志田元孝、「一朝一夕にはできぬ労働力・人材育成の難しさ(前編)」、セミコンポータル、同、「一朝一夕にはできぬ労働力・人材育成の難しさ(中編)」、セミコンポータル、同、「一朝一夕にはできぬ労働力・人材育成の難しさ(後編)」、セミコンポータル (2022/09/09)
2. 柳田邦男、「ガン回廊の炎」、講談社発行、(1989)
中でもp.59-p.75に和賀井教授の話が出てくる。「無銭の舩旅」はp.71以降を参照
3. 吉田直哉、「私伝・吉田富三 癌細胞はこう語った」、文芸春秋発行、(1992)
中でもp.141-p.179に最終講義「第6章 作業仮説と人生観と」がまとめられている。 p.158-p159に仮説と実験事実による微修正の継続が進歩だという記載がある。
4. デバイス技術では例えば、垂井康夫、菅野卓雄、小野員正編著、「MOS電界効果トランジスタ」、日刊工業新聞社刊(1969)、プロセス技術では例えば、Takuo Sugano編著、「Applications of Plasma Processes to VLSI Technology」、John Wiley & Sons, Inc.、(1985)
5. 城山三郎、「よみがえる力はどこに」、新潮社刊、(2012)
 中でもp.61-p.62に半田浩三氏の記載がある。
6. 鴨志田元孝、「電子立国復活で未来を拓け」、セミコンポータル (2015/10/07)
7. 技術情報サービス協会 (Association of Technical Information Services ATIS)

技術コンサルタント 鴨志田 元孝
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