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工場売却・市場/顧客オリエンテッドへ即改革、復活を遂げたスパンション

John Kispert氏、米Spansion社 CEO

2009年3月に米連邦裁判所にチャプター11を申請、約1年間裁判所の管理下で再建の道を歩んできたスパンション。2010年5月に裁判所の管轄を離れ、独自に再生へと向かってきた。ファブライトモデルに加え、シリアルNOR、チャージトラッピングNAND、フラッシュリッチなSoCへと製品ポートフォリオを広げてきた(参考資料1)。エルピーダメモリをパートナーとする同社CEOのKispert氏に復活ストーリーを聞いた。

米Spansion社CEOのJohn Kispert氏

米Spansion社CEOのJohn Kispert氏


Q1(セミコンポータル編集長):  エルピーダメモリが裁判所の管轄のもとで再建の道を歩んでいます。2009年に同じようにチャプター11を経験されたスパンション(Spansion)社は、エルピーダをどのように見ていますか。エルピーダはスパンションの生産工場の一つという関係もありますね。
A1(Spansion社CEO John Kispert氏): 2009年3月にスパンションがチャプター11を申請した時、顧客はスパンションの復活を望み、スパンションも彼らの支援を求めました。ただ残念なことに、スパンションジャパンがその1カ月前に会社更生法を地方裁判所に申請しましたが、(その前に米国に知らせがなく)日本は難しい会社だなと感じました。スパンションジャパンは日本的な会社でした。この会社の手続きは、(会社を再建させるための)チャプター11ではなく、(清算するための)チャプター7だったのです。
ただ、日本はスパンションにとってとても重要な市場であり(編集室注1)、今でも重要な顧客は日本にいます。富士通もとても重要な顧客の一つです。

エルピーダの坂本幸雄社長はとても仲の良い友達です。エルピーダは、ファウンドリという関係を超えた、むしろチャージトラッピングNANDフラッシュの共同開発者ともいうべき関係でした。私たちには300mm工場はありませんが、エルピーダの広島には300mm工場があり、ここに製品を流すために一緒に取り組みました。当社のIPを提供し、プロセス開発を広島で行いました。坂本さんは広島で開発できるように努力してくれました。今でもスパンションと一緒に働いており、非常にうまく行っています。広島工場には素晴らしいプロセスエンジニアがおり、素晴らしい生産技術があります。

Q2:なぜエルピーダを共同開発企業に選んだのですか
A2:われわれのNANDを作ってくれるメーカーを考えると、既存のNANDメモリメーカーはいかがなものでしょうか。エルピーダはパーフェクトです。エルピーダではサンプル出荷の初期の段階まで一緒に開発しますが、大量生産になると別のファウンドリに移転します。

Q3:今でもエルピーダでNANDフラッシュを作っているのですか?
A4:坂本さんとは今でも毎週のように話をしています。エルピーダが、われわれのNANDフラッシュにフォーカスして作っていることは確かです。エルピーダは財務上の問題があるので、NANDフラッシュ製造にかかる費用はスパンションが全て払っています。NYタイムズ紙に、エルピーダから自社のテキサス州オースチン工場や中国武漢工場に移していくのではないかという記事がありましたが、今はエルピーダと共同開発中です。

Q4:エルピーダの広島工場はファウンドリ事業としてやっていくことができるでしょうか。
A4:広島工場にはとても優れたエンジニアがたくさんいます。技術的にも素晴らしいものを持っています。しかし、だからといってファウンドリビジネスとして成功するかどうかは別問題です。わかりません。

Q5:スパンションはチャプター11の後、どのようにして立ち直ったのでしょうか。
A5:倒産したときのスパンションには大きな問題が二つありました。一つは市場に全くフォーカスしていなかったことです。いい製品を持っていたのですが、狙うべき市場が定まっていませんでした。高性能な製品でも何が優位なのかわかっていませんでした。そこで、競争が激しく難しくなっていた携帯電話市場から撤退し、カーエレクトロニクスやカメラ、ネットワーキング、コンピュータの市場にフォーカスしました。日本市場ではソニーやパナソニックなど向けの組み込みシステムを重視しました。

もう一つは、企業文化にも問題があり、それを変えることでした。顧客重視へと変え、技術をもっと早く顧客のために使えるようにし、顧客に早く提供するように変えました。復活した年(2010年)に18の製品を計画し、2年目には製品を出荷しました。今は次世代製品を設計し、さらに次の30年を見据えてその先の製品も設計しています。

Q6:倒産前のIDMビジネスモデルから、復活後はファブライト戦略に変えましたが。
A6:今は、オースチンに唯一の工場を持っています。ファブライト戦略を採ったのは、基本的な問題を解決せざるを得ないためでした。40億ドルを債権者に支払うか、会社を閉じてしまうか、二者択一しかなかできなかったため、いろいろな工場を売って支払いに充てました。会津工場は110nmラインであり、遅れていたので、中国に売りました。当時は65nmラインの工場が最も効率が良かったのです。

このようにしてファブを減らしたため、製造してくれる工場をアウトソーシングし、パートナー契約を結びました。エルピーダの場合も、工場の売却先を早く探し財務的に助かるような道を探ることが重要だと思います(編集室注2)。スパンションはアセットを早く売却して、次の段階に早く進めたことがよかったのです。

参考資料
1. 会社更生法から再建・復活を果たし、成長への軌道を明確に描くスパンション (2012/03/06)

編集室注1: 富士通とAMDとの合弁で生まれたスパンションはもともと日本市場での売り上げは多かった。直近(2012年第1四半期)の地域別売り上げを見ても日本での売り上げは32%を占める。前期(2011年第4四半期)は37%だった。
編集室注2: この取材の後、エルピーダをマイクロンが買うことが決まった。

(2012/06/29)
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