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巨星 堕つ、マーク・シェファードJr.氏のご冥福をお祈りします

1960年代から70年代に米Texas Instruments社の社長を永く務めたマーク・シェファード Jr.氏が2月4日に亡くなった。享年86歳。大往生であり、まさに巨星堕つという感が深い。シェファード氏は米国がノーベル賞に輝いた新素材であった半導体を事業化し量産に導いた希有なリーダーである。イレブンナインと言われ純度99.999999999%の半導体インゴットなど世界中に存在しなかった時代の50年代、それを数本入手するのではなく何千本も入手してはウェーハ化し高周波トランジスタに仕上げた。教科書もノウハウも皆無の時代に材料メーカーに発注し納入させるだけで大変な時代だったはずだ。その後60年代になってTTL(トランジスタ-トランジスタ・ロジック)の量産も実現させたことは余りにも有名だ。MOS実用化以前の時代である。集積回路TTLのリーダーとしてTIはシェファード氏のリーダーシップの元に大躍進を遂げた。

半導体ランキング統計のなかった時代に断トツの1位としてTIを率いたのがシェファード氏だ。ランキング統計がなければ例えば、9位と10位の差はわからないが、断トツの1位なら皆が知るところとなる。幸せなことに筆者は1969年に日本のT社を退社し、TIに奉職することになった。筆者が働いたMOSのファブはテキサス州ヒューストンに存在していた。その頃、シェファード氏はTTLの量産を牽引し、そのことによって産業向けにロジックデバイスを大量供給していた。

一方、次世代にも視野を広げMOSにも注目した。MOSが大きく発展する原動力は何か?それはMOSの大市場は何かを探すことだった。シェファード氏はMOSを発展させ大量生産販売に見合う市場を探し当てた、それは電卓だった。当時、数チップのLSIで構成していた電卓にワンチップMOSを設計開発させ、大量生産にのせて大幅なコストダウンを実現させたのがシェファード氏だ。その右腕にはあのモリス・チャン氏がいた。シェファード氏の厳しい訓練に耐え、他の白人との競争に勝った中国系アメリカ人のモリスはビジネスマンとして大きく成長し、後にTSMCを起業し一流企業に仕上げた。電卓市場を抑え、MOSの量産でTIがトップに躍り出るのにさほど時間がかからなかった。その後日本勢がCMOS電卓の量産をマスターして階段を昇り、その勢いでDRAMに注力し80年代の日本全盛の時代になっていった。

シェファード氏はリーダーとして傑出していた。即ち、人材育成においても大きな実績を上げた。モリス・チャン氏を育て上げたのに加え、ジャック・キルビー氏も育成した。ジャックはTIでR&Dに専念し集積回路を発明している。後にキルビー氏はこの発明でノーベル賞に輝いた。実は集積回路の発明者は二人存在する。もう一人の発明者はインテルを創業したR.ノイス氏である。しかしながら、セマテックのトップとなったノイス氏は住み慣れないテキサス州で水泳中に急逝してしまった。運が悪かったと言わざるを得ない。もし元気でいたらノーベル賞は業界で最も有名なこの二人が受賞したはずだ。

シェファード氏は日本の半導体産業育成にも大きく貢献した。生産現場は米国だけでは不足と考え、広い世界の中で半導体製造に当時最も適した国を探し出した。そのベストの国が日本だった。「ものづくりの国」日本は80年代半導体製造で世界トップになった。しかし、シェファード氏が日本進出を決めたのはその20年も前の60年代だった。20年先をも読んだと言える。ノートリァスMITIと言われ海外で悪名高かった時の通商産業省(現在の経済産業省)は徹底してTIの進出を妨害した。「進出は基本的に認めない。ただし、日本企業との合弁ならあり得る」という難題だった。シェファード氏は日本進出をギブアップしなかった。通産省のために日本を諦めるわけにはいかない。

そこで、ある日ニューヨークに電話をかけた。相手は日本人だった。シェファード氏の説明を聞いたその人は「OK、2〜3日考えさせて欲しい」と、述べたという。数日後、ニューヨークとダラス間で繋がった電話で盛田昭夫氏が言った。「ウチと50%-50%で日本に合弁企業を立ち上げたらどうだろうか?」。盛田氏は当時、ソニーの副社長であり、販売に専念する立場から、米国でトランジスタラジオの販売網を構築するためにニューヨークに住んでいた。もちろん、シェファード氏とは周知の仲であった。

TIからの最初の報告が前向きであり、あまりに早かったので通産省の担当官は驚愕したという。このシナリオは成功し、TIジャパンはソニーとの合弁会社としてスタートした。この合弁にソニーの名はないが、盛田氏は問題にしなかった。数年後にTIジャパンはTIの100%子会社になって現在に繋がっている。シェファード氏は一人の通産官僚をアドバイザーとしてTIジャパンに招聘し、通産省に礼を返した。我国の慣習に従ったのだ。

シェファード氏はクォータリーレビューと称する四半期ごとのTI経営会議をたびたび日本で開き、たびたび来日し日本のマネージャー達と親しく歓談した。そして、半導体製造のコストダウンを説きラーニングカーブの重要性を話した。ラーニングカーブとは60年代にTI社が見出した価格低下則で、「競争が激しい半導体の大量生産においては累積製造量が倍になるごとに価格は75%ほど下がる」というものである。マーク・シェファードJr.氏のご冥福を祈る。


エイデム 代表取締役 大和田 敦之

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