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日本が誇るパワー半導体の実力、IGBTは日本の発明

わが国の半導体産業は立体的であり良いバランスがとれた形を成しているといえよう。DRAMやフラッシュメモリー、マイコンとも呼ばれるMCU、そしてロジックLSI…の数々。その上に多彩なディスクリートデバイスを展開していて、中でもパワー半導体は素晴らしい。

例えばパワー半導体だけで見ると、日本企業が総合的にトップグループの位置に着けているのは間違いない、と感じている。ガートナー社などの2008年のオール半導体売上高ランキングに於いてトップ3は全て海外企業だったが、彼等はパワー半導体では劣勢であり日本の三菱電機、富士電機などに遠く及ばない。

PCも携帯電話も先進国では一巡して需要が飽和傾向にあるなか、石油枯渇問題に加え低炭素社会が目前に広がる現在はエネルギーを効率良く制御できない国は発展しない形勢になって来た。主だったエネルギーである電力を効率よく制御する仕事を担うのがパワー半導体である。データセンターの設置数は急膨張していて、データセンターの中味は確かにサーバーでデジタル機器だが、無停電電源装置などの電力供給や温度制御などデータセンターに必要なエネルギー制御面でパワー半導体が担う役割は大きい。そして、風力及び太陽エネルギー発電装置にパワー半導体は必須である。発電で得た直流電力は送電のために交流化など種々のプロセシングを実施するので、その際パワー半導体が必須になる。

高度に発達したわが国の交通機関である新幹線、電車そして地下鉄さらにはハイブリッド車などに使われる電力エネルギーの制御に半導体王国としての日本が期待されている。省エネ等で世界をリードする日本の出番が一層強く待たれている。事実、昭和39年のオリンピックに開発が間に合った新幹線はシリコンコントロールド・レクチファイア(SCR)等の半導体技術もあって実現した。新幹線の技術は今や台湾や中国に導入された。

折から半導体産業新聞は本年1月14日号からパワー半導体の連載を始めた。紙面に依ると今やこの市場は拡大し2兆円規模になったとしていて頼もしい限りである。

交通機関の車両推進制御装置は、SCRからGTOサイリスタを経て最近は、著しい小型軽量化を実現するIGBT (Insulated Gate Bipolar Transistor) が多用されるようになった。例としてトヨタのプリウスを見てみたい。そのゴールは内燃機関のガソリン消費を極力抑えることだ。プリウスには駆動用に、ガソリンエンジンと併設する交流モーターがあって、それには駆動力に加え発電機の役割を持たせている、即ち1台で二役を果たさせる。坂道を下降する時などに発電された電力は搭載してある充電池に蓄える。電池の電力は必要時にインバーターで交流に変えて駆動モーターを回す。そのインバーターは32ビットマイコンとIGBTで構成し、電力消費モードとガソリン消費モードをマイコンが微妙に判断して選択し、その指令でモードを切換えることができる。こうしてプリウスはハイブリッドカーとして究極の省エネを目指している。

このような情報はWikibooks (Toyota Priusと検索) に詳しい。金融危機の到来直前までプリウスは米国で良く売れた。環境を配慮する富裕層のステータスとして買われるのでトヨタはプリウスを米国で生産するようにしている。そのためWikipediaもプリウスの情報を載せている。

Insulated Gate Bipolar Transistorとは洒落たネーミングだが、これは日本人が命名したのではないだろう。米国特許は1982年12月に成立した。RCA社の技術員ハンス. W. ベッケ(敬称略、以下同様)が発明者である。ただし、ベッケの特許は日本で成立していない。実は三菱電機からの出願があるからだ。昭和43年11月に山上と赤桐が連名で出願し特許庁はこれを昭和48年1月に特許として許可した。審査が遅くて悪名高い特許庁だが意外に早く4年強で審査を終了したのは発明の新規性が高かった証拠であると考えられる。そして14年も遅れたベッケの出願は特許庁によって阻まれた。

当然のことながら、山上と赤桐は命名こそしていないがInsulated Gate Bipolar Transistorの唯一の共同発明者である。そのことを潔く認めるのは米国の人達だ。ネットの英文WikipediaにIGBTの発明者は山上であると最初に書いたのは彼等だった(※編集室注)。問題は、職務で発明させた日本の会社が、IGBTを早期に実用化しなかった点である。昭和43年当時は社内に目利きが居なくて発明の価値を見抜けなかったのかも知れない。会社はこの発明は価値がないと考えて、当時は実用化を放置したのだろう。実に14年間も米国に先行したこの技術を眠らせてしまった。

一方米国では、1970年後半から1980年にかけてIGBTの研究が進み論文も多数出て来て洒落た命名もなされた。例によって米国の論文から学んだ日本はIGBTの重要性に気付き実用化を追いかけ、キャッチアップし遂に追い抜いた。だが特許は出願から20年で期限切れになるので、くやしいかな昭和63年にこの基本特許は期限を迎えてしまった。このことの教訓は大きい。即ちIGBTの基本発明を持つ日本にこの発明を根拠とした特許料が入ったことはなかったことになる。

そして更に問題なのは本稿で若干の調査をするまで筆者は不明にしてこれほど偉大なIGBTの発明者がよもや同胞であることは知らなかった。不勉強を恥じなくてはならない。ただ、当該企業が最も良く事情を知るはずであり、この偉大な発明を広報で知らせていなかったのではなかっただろうか?

同胞のあるいは同僚のもしくは部下の偉業を讃たえ表彰などするのは当然であろう。さもないとわが国では、誰も苦労して重要な発明などせず、発明を高く評価する他国に全て持って行かれてしまう。


エイデム 代表取締役 大和田 敦之




(編集室注)Wikipediaに山上特許の事を最初に書きこんだのは米国人ではなく日本人であることが最近わかりました。その後、いろいろな方が書き込みをされ現在の表現になったようです
(2010年7月22日)

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