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米国発、ブレーン・イニシアティブ

米オバマ政権が大脳研究に挑む。「ブレーン・イニシアティブ(Brain Initiative)」である。この結果、筆者が期待する成果の一つは、新しいアーキテクチャを使った大脳の考え方に近い思考プロセスを踏む半導体プロセッサの設計・試作だ。このことは本稿の最後で述べて見たい。

報道によると、本年4月20日コンピュータ将棋ソフトが、プロ棋士と戦う第2回将棋電王戦を制した。将棋戦は時間制限があって次の手をいかに早く正確に読むかが勝負になる。MSN産経ニュースが報じた記事では、電王戦の第5局で670台ものコンピュータを接続した。その結果は1秒間に2億5000万もの手を読んだという。人間の棋士は、持ち時間4時間以内で、一手を指す前に最大20手ほど先を読むことが可能だが、この先読みの組み合わせ数では勝負にならない。それでも今回の電王戦は、コンピュータの3勝1敗1引分けなので棋士は善戦したと言える。棋士の先読みは質が高い。人間の棋士が機械に勝った1勝は貴重だ。先読みの回数で差が出ても先読みの質と内容で勝利した。人間にしか出来ない創造的な考え方は、時にたいへん強いのだ。

電王戦の波紋は大きく、日本経済新聞の「経済教室」も5月1日に評論を載せた。「知的な作業は人間から機械への代替化が進む、あるいはITは一部の人々の労働を完全に代替する事が可能だ」、などと述べている。だが、筆者はITが代替することで、結果として職を失う一部の人々がいても教育が進んだ日本では大きな問題になるとは考えない。理由は人間が創造的に考えることができるからだ。例えば、研究開発の分野では半導体の実験テーマを新しく考え出し、その実験を実行してデータを得て結果を出す。実験データの意味を考え、そして新しい理論を提案し実験結果を説明する、などだ。この一連の作業はコンピュータにはできない。

電王戦を発案した人は、以下のように考えたのではないか。「コンピュータと将棋のプロ棋士と対戦させる試みは実現しやすい。理由は将棋のルールが厳格に決まっていてソフトウエアを開発できるからだ。もしかしたら、プロの棋士に勝てるかもしれない。相手の棋士が承諾すれば実現可能だろう。おもしろい!」と。

自然科学を発展させるには好奇心が大事だ。人間の創造力を理解し研究開発で世界に勝つことが日本では特に必要だ。理由は日本には自然から得られる資源が少ないからだ。国の発展のために、大脳の活動はいまだ理解が進まず未知な部分が多いようだ。

オバマ政権が発表したブレーン・イニシアティブについて、シリコンバレーの新聞、サンノゼマーキュリーニューズは4月10日版で、その予算額は邦貨にて100億円にも上る旨を記事にしている。米民間も参入して同額程度の予算を組むので総額はほぼ2倍の200億円になる。究極の目的の一つは、もちろん医学健康分野であり、例えばアルツハイマー病やトラウマなどに起因する病変がどのように脳に現れるかを学び、対処を考え治療に役立てることだ。先行していたゲノムプロジェクト*と同様に新しい知恵を開拓する。頭脳の各部位がいかに連携しているか?生体を走る信号の授受はどうなっているか?これらの疑問を科学的に医学的に開拓して深く究める。神経科学の多くの分野から科学者や医師、技術者などの専門家を動員することを目指す。コンピュータサイエンス、物理学、化学、電子工学のエンジニアを招聘し、現在は存在しない新たなツールを開発し、かつ新分野を切り開く。

それは大胆な研究開発プログラムであって人間の心の内部を明らかにする努力の集結になる。ニューロンや脳の研究はある程度は進んできた。ニューロンはその数が1000億本もあり、それらの間のコネクションの数は1兆を超える。プロジェクト責任者のコリンズ博士は次のように説明している。「1本のコネクションを一つの楽器に喩えると、脳オーケストラの全体は1兆以上の楽器の融合であって一体どんな楽曲が奏でられるのか全くもってわからない。それ故に人類はまだアルツハイマー病や自閉症の治療に解を見出していない」。

大脳各部分(野)に関するマッピングはすでにウェブにも掲載されたものはあるが(参考資料1)、もっと詳細なマッピングを作ろうとしている。これにより数十ないし数百の新しい各部の応用技術開発を狙う。その結果、脳を中心に発生するトラブルや病変は確実に治療できるようになるだろう。

我が国でも脳の研究は進んでいる。実例の一つとして、東北大学の川島隆太先生は脳の鍛え方を研究し著書も多い。任天堂と組んで脳を鍛える大人のDSトレーニングなるゲームソフトも開発したが、このようなゲームは世界で例を見なかった。先生の著書「脳を鍛える大人の計算ドリル―単純計算60日」は、出版時に大ベストセラーになった。

我が国では脳科学の周辺に応用脳科学という言葉が以前から使われて来た。周辺の学問と学際領域を形成している。学際を形成するのは認知心理学、教育学、倫理学、社会学、医学、ヘルスケア、生理学、電子工学そして経済学などだ。

筆者が最も期待するのは得られるブレーンモデルをベースとした、半導体プロセッサ、BMP(Brain Model Processor)である。現今のCPUは計算するスピードは速いが新たな考えを創出する能力は限られている。BMPは当然ながら現存するCPUとは異なるアーキテクチャになる。

将来新たに設計開発されるBMPは、もちろん現存するCPUとアーキテクチャが異なる。かつて、ニューラルネットワークコンピュータの開発が盛んになったが、当時は実用化できなかった。筆者は、ニューラルネットワークコンピュータの発展型としてBMPを考えている。チップは、学習することや創造的な思考を持っている。単なる数値計算問題ではなく、創造的な問題を与えると、その回答を出力する。米国発のブレーン・イニシアティブに刺激されて日本でBMPチップが開発される夢を見ている。BMPチップの使い方としてはブレーンストーミング方式が好ましいだろう。最初はアイデアが奇想天外すぎて大部分は使えないだろうからブレーンストーミングと同様に考えて、出てくるアイデア全てから取捨選択をする覚悟が必要だろう。

参考資料
1. 脳の簡単なマッピング

エイデム代表取締役 大和田 敦之

*筆者注 ゲノムプロジェクトは人間の全遺伝子の構造を調査し確定することを目的としたプロジェクトで2008年、成功して終了した。

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