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イーストマン・コダックの敗北を反面教師として考える

屠蘇の酔い気分がいまだ醒めやらぬ1月19日、コダックが米連邦破産法11条による破産宣告を発表した。日本の富士フイルム社などとの競争に負けたというのが筆者の感想だ。旧世代の技術である銀塩フィルムの王者がデジタル時代を迎えて十分に早く、そして必要だった事業変革を達成できなかったという悔みが残った。

Digital Company構想の旗印のもとコダックは、CCD(Charge Coupled Device)、有機EL、昇華型プリンター、そして医薬品も手がけたが、デジタルイノベーションの競争には勝てなかった。

CCDは、デジタルカメラの眼となる半導体である。シリコン基板上に酸化・拡散・メタルプロセスを経て形成されるが、写真画像の光信号で発生する電荷(Charge)をバケツリレーのようにパルス信号で移転させていく動作に特徴がある。バケツリレーされる電荷は種々の欠陥に妨害されてはならず、かつそのライフタイム等も短すぎては歩留まりに影響が出る。このために通常のシリコンLSIプロセスで製造しても歩留まりを上げることはできない。CCD製造には独特のノウハウがあり、高い歩留まりで製造できる会社はソニーなど日本の数社に限られるというのが筆者の知見だ。CCD素子製造の歩留まりを十分に上げるプロセスノウハウは簡単に習得できるものではない。追って2月9日、コダックがデジタルカメラなどを製造する部門を段階的に廃止する計画を発表した、とブルームバーグ発の外電は報じた。

1990年頃までに写真フィルム事業を大きく育てたコダックは、世界でその寡占状態を作り上げた。鮮やかな黄色の写真フィルムのパッケージは、ゴールドを連想させ世界のどこのフィルムショップでも見られた。それは大きな存在であり、富士フイルムなどからすれば、手が届かない、ただ仰ぎ見る高根の花であった。

失敗の要因の一つは、大成功を享受しつつ他社を圧倒し、満足の左団扇に甘んじ、その間、守りの姿勢のみを固執し続けたことだと思う。看板商品とそのブランドの強さに溺れてしまい必要な改革を怠り、将来に向けて発展すべきデジタル事業で敗北したのである。成功した大会社が、成功体験という「ワナ」に堕ちた。そうなると、売上高の大きい花形事業部の意見が強く経営に反映する。これから発展するイノベーションを目指す弱小事業部に投資資金が回らないなどの問題が発生する。プロダクトライフサイクルのピークにある事業は新しく投資資金をつぎこんでも市場は次を向いているので、さらに売り上げを増やすことはできない。だから成功体験は怖い。

事実、1月20日の讀売新聞が転載した富士フイルム社のデータによると、カラーフィルムの世界総需要は、ピークだった2000年を100とすると2010年はたったの7.9しかない。デジタルカメラが席巻しカラーフィルムの市場は10年間で、92%が消えた。記録によると世界で最初にデジタルカメラを開発し試作したのは他ならぬコダックであった。自社の大発明を生かせなかった大きな皮肉だ。発明したならば、その特許や意匠などを工業所有権で固めてキャンペーンを張り、世界でマーケッティングを一気呵成に展開していれば、写真のデジタル時代を制覇できたのに違いない。それをしなかった理由は明確だ。他社が羨む巨大事業の柱であるフィルム事業との共食いになるのを避けたのだ。デジタル化で先行する邪魔をしたのは社内にあった世界の寡占事業であった。

一方、ライバル富士フイルムの経営は、見事な勝ちっぷりを示した。デジタル時代の到来を透視し写真フィルムへの依存を減らしつつ路線を多角化した。フィルム技術の中核を医薬品や液晶材料に応用した。そしてコストダウンと品質向上に努めた。そしてデジカメでもコダックを抜いて善戦してきた。そのハニカムデザインでレイアウトされたCCDセルは有名で製造プロセスの歩留まりも良いレベルにあると考える。

1月19日の日本経済新聞電子版によるとコダックは、2000年頃にイメージリングプリントシステム(IPS)を開発して米国で400万台も売っていた。IPSはPCを使わずに写真のデジタルデータを扱うことができるので、カメラが撮影して蓄えた写真画像を簡単に印画紙に転写して楽しめる。これはアナログカメラが撮影したフィルムをDPE店に依頼して現像、プリント、拡大等をしてもらうプロセスを自動化したものだ。しかもユーザーは店に行かずに自分でDPEができる。コダックはこの技術をオープンして普及に努めた。その流れで統一規格を作りニコン、オリンパス、カシオ等の会社に対してこの技術を開放した。だがその努力にもかかわらず、IPSが日本で広く知られている事実はなく、筆者も今まで知らなかった。即ち、IPSは北米以外では普及しなかった。

その後の報道では、米連邦破産法11条に基づきニューヨークの破産裁判所は米シティ銀行グループがコダックに対して設定した9億5000万米ドルのつなぎ融資のうち6億5000万米ドルを実施することを許可した。コダックはこの融資を活用し保有特許を売却するなどの縮小方向に進むことになろう。

同社は昨年の夏にデジタル画像に関する1,100件の特許等について全てを売却する旨の発表をしたが、買手は決まらなかった。報道では全件合せて22億米ドルとされる。一件当たり2万米ドルの相場をつけたが不発に終わった。これは邦貨で、計1,700億円と高価だ。一方、売却に成功して1,700億円の売り上げを立てればコダックは再生できるのか?もちろん、再生は相当に厳しいと思う。こうしてコダックの先行きは険しいものになっている。丁寧に掃き集めた落葉の山が冬風に舞い、散々にならないのだろうか?

今回のコダック社の事例はMBAスクールの教材になるだろう、と筆者は予測する。米企業が日本企業に敗北する例は珍しい。こうなることを10年前に予想した人はいなかったはずだ。このケースは、仮に巨人IBMが富士通に敗退するほどのインパクトがあるのだ。

エイデム 代表取締役 大和田 敦之

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