シャープは「デバイスと商品のスパイラル展開戦略」で復活を
シャープは2012年9月15日に記念すべき100周年を迎えた。だがそのシャープが深刻な経営不振に陥っている。その原因として、堺工場への無謀な投資とそれに伴う高額の負債、経営陣のリーダーシップの欠如などさまざまな分析がなされている。今、経営の立て直しの途上であり、再建の一助となればと思い筆を執った。
表題の「デバイスと商品のスパイラル展開戦略」を説明する前に、それに至るシャープの歴史を少し紹介しておきたい。シャープは関西の企業というイメージが強いが、創業者早川徳次氏(参考資料1)は明治26年(1893年)東京日本橋に生まれている。8歳のときに金属加工業の坂田芳松親方の家で住み込み職人として働き、18歳でバックルを発明して実用新案権を取得し大正元年(1912年)9月15日に東京本所で独立した。シャープではこの時を会社の創業としている。
大正4年(1915年)、早川氏が22歳の時に「早川式繰出鉛筆」(シャープペンシル)を発明し実用新案権を取得して事業は拡大したが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災で妻子と工場をなくした。大阪の企業から借りた負債を返済するためにその年の12月に大阪へ移り、すべての実用新案権を含めた事業の譲渡と技術指導を行って負債をきれいに清算した。
翌年(1924年)、早川氏は大阪において早川金属工業研究所を設立し再起を図った。大正14年(1925年)に日本でラジオ放送が始まるのを機に、当時は輸入品しかなかった鉱石ラジオの国内初の商品化に成功、爆発的に売れて新しい事業の核ができ上がった。その後、真空管ラジオ(1929年)、国産第1号テレビ(1953年)、国産初の電子レンジ(1962年)、世界初の全半導体式電子卓上計算機「CS-10A」(1964年)、わが国初の太陽電池量産化(1964年)、世界初MOS型LSI搭載電卓「QT-8D」(1969年)などを世の中に送り出した。
シャープは世界初や日本初の製品を次々と開発したが、製品コンセプトと設計は社内で行ってもその構成部品は外部から購入するアセンブリ・メーカーでしかなかった。シャープが開発した商品が売れるとわかれば、大手家電メーカーが販売力にものをいわせて、その市場を獲得する構図がでてきた。このようなアセンブリ・メーカーから抜け出すことが2代目社長の佐伯旭氏(参考資料2)に課せられた最大の課題であり、シャープの悲願でもあった。昭和45年(1970年)、日本初の国際万国博覧会が大阪で開催されたが佐伯氏は出展を辞退し、そのお金で次世代のために奈良県の天理丘陵に中央研究所と半導体工場を建設した。その後、天理丘陵からMOS型LSI、発光ダイオード、液晶パネル、太陽電池、半導体レーザーなどが次々と生み出された。「コア・デバイスを持ち、アセンブリ・メーカーからの脱却」が佐伯氏の目標であったが、さらに当時副社長の佐々木正氏(参考資料3)の主導でユニークな商品を生み出すための仕組み「緊急プロジェクト制度」も残した。
佐伯氏の後を継いだ3代目の社長が辻晴雄氏(参考資料4)である。辻氏が社長に就任したのは昭和61年(1986年)で、前年(1985年)のプラザ合意の結果、それまでの1ドル240円がみるみるうちに170円〜140円にまで円高となり、輸出環境が急激に悪化した。辻氏は短期的にはこの円高不況を乗り切るとともに、長期目標として液晶事業を次世代事業の柱に据えることを決断した。辻氏が社長に就任したその年に年間売上高80億円程度しかなかった液晶部門をシャープで一番小さな事業部へ昇格させた。そこで「デバイスと商品のスパイラル展開戦略」により液晶ディスプレイ事業をシャープの中心事業にまで高めた。
ここで液晶ディスプレイ開発の歴史を時系列的に概観しておきたい。1964年に米RCA社のハイルマイヤー氏が動的散乱モード(DSM:Dynamic Scattering Mode)液晶を発明したが社外発表はせず、液晶クロック試作後の1968年になって初めてプレス発表を行った。この発表で世界中が液晶パネルの開発に殺到した。1972年頃にはDSM液晶を腕時計に応用する試みがなされたが直流駆動のため動作寿命が短く成功しなかった。一方、シャープはDSM液晶にイオン添加材を加え交流駆動する方式を1971年末に発明し、1973年6月に世界初の液晶表示電卓「EL-805」の商品化に成功した。こうしてシャープは実質的に液晶パネルの量産化に成功した世界初の企業となった。
イオン電流駆動素子のDSM液晶に続いて、電圧駆動素子のねじれネマチック(TN:Twisted Nematic)液晶が1969年に発明され、消費電力が少ないことから腕時計をはじめとして急速に商品化が進められた(図1)。その中でも特筆すべきは、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)がシャープから4カ月後の1973年10月にTN液晶を表示装置として使った6桁表示の水晶腕時計「06LC」を発売したことである。当初の液晶パネルは「日」の字型セグメント方式を使った、白黒の一色表示であったことから、液晶パネルの応用は電卓と時計の表示装置に限られていた。
日本語やアルファベットなどの文字表示にはドットマトリックス表示が必要であり、それを実現するために時分割駆動方式が開発された。文字表示が可能となったことから白黒表示ではあったが、液晶パネルの応用製品は日本語ワープロや携帯端末へと広がっていった。さらに薄膜トランジスタをスイッチング素子として使用するアクティブマトリクス方式のTFT(Thin Film Transistor)技術が実用化されたことにより液晶パネルの大型化が実現し、応用製品もパソコン、モニター、白黒テレビへと展開していった。さらにカラーフィルタの実現でカラー化も可能となり、その後IPS(In-Plane Switching)やVA(Vertical Alignment)といった広視野角技術の導入でカラーテレビへの展開が急速に進んだ(参考資料5)。
図1 液晶ディスプレイ開発の歴史的展開(参考資料5)
ここで、辻氏が推進した「デバイスと商品のスパイラル展開戦略」に戻る。シャープは昭和48年(1973年)に商品化した液晶表示電卓「EL-805」を皮切りに、液晶パネルを表示装置に使用した電子手帳、日本語ワープロ、パソコン、携帯電話機などを次々と商品化していった。昭和63年(1988年)には14インチのカラー液晶パネルの試作に成功。この頃の商品としてはまだ3インチのカラー液晶テレビの時代である。この14インチの試作品を見た辻氏は大型カラー液晶パネルの時代が来ることを確信し、カラー液晶パネルを使った新商品の提案を各商品事業部に指示した。この結果、液晶プロジェクタ(1989年、商品名「液晶ビジョン」)、カラー液晶パネル付ビデオカメラ(1992年、商品名「液晶ビューカム」)、8.6型世界初の壁掛け液晶カラーテレビ(1991年、商品名「液晶ミュージアム」)などの商品が実現することになる。
つまり「デバイスと商品のスパイラル展開戦略」(図2)とは、液晶パネルのデバイス技術の向上と新商品とを密接に関連付けた開発戦略のことで、デバイス技術、生産技術、商品開発技術の三つの技術開発をらせん状に高めて行く戦略である。商品事業部からの市場要望に応じてデバイス技術を開発し、一方デバイス技術が進歩すればそれを新しい商品に応用するという展開で、デバイス開発と新商品開発とをリンクさせることがその骨子である。こうしてシャープの液晶パネルは、デバイス技術の進歩とともに新しい応用商品を見つけて展開・発展を続けてきた。
図2 デバイスと商品のスパイラル展開戦略 提供:シャープ株式会社
これは別の言葉で言い換えると「市場創造型の技術開発戦略」である。今、シャープのみならず日本の多くの電子機器企業に求められているのが、この「市場創造型の技術開発戦略」であろう。しかし、ここにきて液晶パネルの応用商品がカラーテレビで止まってしまった感がある。今まさに次の応用商品を創造して次のステップへ発展させていく努力をしなければならない時期にきている。
参考資料
1. 早川徳次:シャープの創業者(社長在任期間;1912年9月〜1970年9月)。明治26年 (1893年)東京生まれ。大正元年(1912年)9月15日に金属加工業として独立開業し、これがシャープの創業日となっている。昭和55年 (1980年)、満86歳で逝去。
2. 佐伯旭:シャープ2代目社長(社長在任期間;1970年9月〜1986年6月)。大正6年(1917年)広島県生まれ。平成22年 (2010年)逝去。
3. 佐々木正:元シャープ副社長・工学博士。大正4年(1915年)島根県生まれ。昭和13年(1938年)京都帝国大学卒業後、川西機械製作所(後神戸工業、現富士通テン)入社。神戸工業を取締役で退社後、昭和39年(1964年)早川電気工業(現シャープ)に転籍、副社長・顧問を歴任。昭和46年(1971年)米アポロ功績賞、昭和48年(1973年)藍綬褒章、昭和60年(1985年)勲三等旭日中綬章、平成15年(2003年)米IEEE名誉会員(Honorary Membership)。郵政省電波技術審議会委員、新エネルギー財団・太陽光エネルギー委員会委員長、(財)国際メディア研究財団理事長、(財)未踏科学技術協会理事などを歴任。平成23年(2011年)8月NPO法人「新共創産業技術支援機構」を設立し理事長に就任。参考資料;「独創から共創へ」(2008年6月18日)セミコンポータル。「スティーブ・ジョブズ氏がアドバイスを求めた日本人」(2012年5月17日)セミコンポータル。
4. 辻晴雄:シャープ3代目社長(社長在任期間;1986年6月〜1998年6月)。昭和7年 (1932年)大阪府生まれ。
5. (財)武田計測先端知財団編『MOT事例研究 注目先端技術成功の理由』、第1章「液晶ディスプレイの発展と商品化」、旧工業調査会、2004年12月15日発行。