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独創から「共創」へ

独創から共創(きょうそう)へ」と題した集まりが6月7日に大阪中之島の中央公会堂で催された。余談ながらこの中央公会堂は大正時代を代表するネオ・ルネッサンス様式の歴史的建築物で、当時のお金で100万円の建設資金は大阪北浜の株式仲買商であった岩本栄之助氏が寄付し、建築設計コンペで選ばれた岡田信一郎氏の作品を基に日本銀行本店やJR東京駅の設計で有名な辰野金吾氏と片岡安氏が設計し、5年の歳月を掛けて1918年(大正7年)に完成した。2002年には保存・修復工事も完了し、現在でも建設当時の風格と壮麗で優雅な美しさを楽しませてくれる。

大阪中之島の中央公会堂
大阪中之島の中央公会堂


ところで肝心の「独創から共創へ」の集まりであるが、シャープ株式会社元副社長の佐々木正博士(注1)による「共創提案20周年記念」講演会と同時に佐々木氏の誕生日を祝う会であった。佐々木氏は1915年(大正4年)5月の生まれで現在93歳になられたが、現在でも官民を問わず技術指導を行っており、国内だけではなく米国、東南アジア、欧州と文字通り世界を股に掛けて飛び回っている。この日は「共創の精神」に賛同する70名を超える参加者を前に原稿なしで1時間の講演を行い、その後に参加者と一緒に昼食会で精力的に意見交換をされた。いつも感心させられるのは、人の名前が直ぐに出てくることで年齢を全く感じさせない。


講演中の佐々木正氏

講演中の佐々木正氏


佐々木氏は1988年から積極的に「共創」の考え方を提唱し始め、1993年からは「共創」の精神に賛同する企業を集めて自ら「共創クラブ」という会を主宰して直接指導を行った。最近は「共創」という言葉があちらこちらで使われて一人歩きを始めており、「共創」の精神が普及すること自体は喜ばしいことであるが、正しく理解されているかが心配である。そこで「共創」の考え方を簡単に紹介しておきたい。「共創」とは、違った価値観を持つものがお互いの信頼関係に基づき同じ「場(ば)」において情報交換等を通して共感・共鳴し合って同じ目標に向かい新しい価値を創造していくことである。

当日の講演で佐々木氏は、脳梁(のうりょう)で結ばれている右脳と左脳がそれぞれの働きに応じて協力し合って人間の創造性を発揮している例などを挙げて「共創」の原理を分かり易く説明した。

佐々木氏の「共創」の精神に共感する東京大学名誉教授の清水博博士(注2)がかつて「共創クラブ」で講演された「共創」の分かり易い例を筆者の記憶に基づいて次に紹介する。即興劇の名優が町を歩いていてもただの人であるがひとたび「場」が与えられて舞台に立てばその場に自分独自の世界を作り上げるが、もう一人の名優がその場に登場すればそれぞれ単独では演じ切れなかったより素晴らしい即興劇を二人で創造することができるであろうという、「共創」と「場」の重要性を強調された話であった。

佐々木氏によると「共創」の結果、新たな価値が生まれるだけではなく、「共創」の活動に加わった人たちの間で互いに感謝の気持ちが生まれるという。昨今の殺伐とした社会を見ると「感謝」の気持ちが少ないからではないかと問いかけ、「共創」の考え方を人類の思想にまで高めたいという。さらに知だけではなくて心を込めた「モノごとづくり」がますます重要になってくると佐々木氏の持論は続く。




注1 佐々木正;1915年島根県生まれ。1938年京都帝国大学を卒業後、川西機械製作所(神戸工業を経て、現富士通)に入社。真空管とトランジスタの開発・製造に従事。神戸工業の取締役を最後に1964年に退職。早川電機工業(現シャープ)に移り、副社長・顧問を歴任。液晶パネルの実用化を進め電卓の小型軽量化を実現。MOS LSIを初めて民生機器の電卓に応用するなど多くの業績を上げた。シャープの緊急プロジェクトを推進し特徴ある商品開発の基礎を築いた。退職後は、自らが立ち上げた蟾餾欖霹弸猯糎Φ羹蠅硫馗后∩グ翕典 ̄用研究所社長などを務めた。藍綬褒章と勳三等旭日中授章を授章。IEEE名誉会員(IEEE Honorary Membership)。

注2 清水博;1932年愛知県生まれ。東京大学薬学部教授を歴任後、金沢工業大学情報工学科教授、金沢工業大学「場の研究所」を設立。現在は東京大学名誉教授、NPO法人「場の研究所」所長。

光和技術研究所

代表取締役社長
禿 節史(かむろ せつふみ)

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