東大d.labが目指す研究センターは優秀な半導体人材を活かすこと
東京大学がd.labと呼ぶ、新しい半導体研究所を昨年10月に設立、すぐさまTSMCとの提携を発表した(参考資料1)。以来、新しい半導体システム設計研究センターとして、エコシステムの構築、海外との提携、そしてなによりもエンジニア同士が語らえる場の提供も目指す。GoogleやFacebookなどが自社開発し始めた半導体への優秀な人材を呼び込み、明日の日本に備えることが最大の狙いだ。
図1 東京大学 d.labのセンター長である黒田忠広教授
これまでの日本は、設計よりも製造に重きを置いてきた。DRAMのような大量生産の製品を主力に据えてきたからだ。世界の半導体企業がDRAMを捨て、システムLSIに軸足を置いたのにもかかわらず、相変わらず製造中心の量産を条件としたビジネスを展開してきた。このため少量多品種のシステムLSIでは工場ラインを埋めることができず、日本の半導体は採算を取れなくなっていった。唯一、NANDフラッシュという大量生産品を持っていた東芝だけが生き残れた。少量多品種製品は、世界中でファブレスとファウンドリのビジネスモデルで成長したが、日本は垂直統合にこだわりすぎてシステムLSIの採算が取れず没落した。世界の半導体ビジネスは、日本ができなかったシステムLSIでファブレスとファウンドリに分かれ、成長を続けてきた。
ここにきてGoogleやFacebook、Amazon、Apple、MicrosoftなどのITサービス企業が半導体を作り始めた。彼らが汎用の半導体チップではなく自分のチップを作り始めたのは、電力効率を上げるためだ。Googleが2015年にTPU(Tensor Processing Unit)を自分で設計したのは、データセンターの消費電力を下げるためだった。検索エンジンに使うサーバの消費電力はTPUのおかげで数分の一に減った。機械学習やディープラーニングのAIをこれまではNvidiaのGPUで実行してきたが、やはり消費電力が大きかった。
電力効率を上げる技術は実は、日本が得意だ。日本は昔からの低消費電力CMOS技術で世界をリードしていた。低消費電力化技術では、日本の半導体が再び活躍できるかもしれない。d.labセンター長の黒田忠広教授はこう考えた。現実に、同氏の研究室に来る学生・院生は優秀だ。この頭脳を活かさない手はない。しかも、これからのAIやIoT、5Gをベースとする自動運転や、ロボット、クラウド基盤などの未来のビジネスでは、電力効率を上げることが必須である。こう考えると、日本半導体にも復活の芽が見えてくる。
黒田氏が東京大学に来る前に勤務していた慶應義塾大学では、研究室の学生・院生たちは日本の半導体産業が後退していたために苦労していたという。当時の座右の銘は「学者は国の奴雁(どがん)なり」という福沢諭吉氏の言葉だった。雁が群れを組んで飛ぶとき、先頭の鳥は周囲を見て首を常に動かしながら後続の鳥たちをリードしてきた、という意味だそうだ。先頭の奴雁のように、日本の半導体にも春が来そうになったら、若い学生・院生・研究者・技術者に知らせるのが自分の役割だ、と黒田氏はワクワクしながら述べる。
大学はかつての時代と比べると大きく変わったという。昔は教育の場だったが、今は運営や経営の場になっているという。それも知の時代に変わり、アイデアを活かす全く新しいゲームチェンジと呼んでよい時代になった。ここに新たに半導体が活躍できる場になったのではないか、と同氏は感じている。このため、昔のDRAM全盛期とは全く異なるゲームチェンジにふさわしい半導体ビジネスが必要だ。
だからこそ、設計中心のファブレスで世界と競争できる技術を持ち産業化へとつなげていこう。市場はどうか。クラウドビジネスでは、GAFAのようなITサービス企業に敵わないが、エッジでの最先端あるいは自動車のビジネスでは日本が強い。日本から見ると、新しいアイデア、豊富なデータ、そして未来に向けた市場もあるのに、テクノロジーの源である半導体だけがない。だったら、半導体開発の拠点を作るべきだ、と考えた。それもファブレスである。
だからこそ、電力効率が10倍も高く、しかも専用チップを開発する意義がある。GoogleやFacebook、eBayにも半導体の設計者が実に数百人規模でいる。彼らの市場では敵わなくても技術では勝てる。それも製造ではなく設計技術で勝てる。こう見た黒田氏は、フレキシブルで俊敏なアジャイル性を持ち、高位合成できる設計ツールで、しかもRISC-Vのようなオープンアーキテクチャを使った設計プラットフォームを創り出すのである。
これだけではない。半導体プレイヤーがシリコンバレー並みの力を備えるためには、ライバルがいて、ディスカッションする場がなくてはならない。シリコンバレーの良さは、誰とでもディスカッションできる場がたくさんあることだ。日本では企業間の壁があり、その壁が技術の発展を妨げている。d.labの組織は、大学のキャンパスから出て、別の場所にも拠点を置くつもりだ。そのインキュベーションセンター的な拠点を提供することで、研究者たちの持つ知のレベルを高めていく。もちろん、ここにはファンドやベンチャーキャピタルの人たちも来られる。
日本では、産業と大学との間の壁もある。大きな壁は特許制度だ。企業が大学の研究室に資金を提供し、製品化できるものを開発した場合に特許を企業が申請したとしても、特許料は文部科学省、すなわち国に入る仕組みとなっている。これではどんな企業でも引いてしまう。健全な産学協同は生まれない。英国では、産学共同研究から生まれた特許は全て企業のもので、大学は本来、特許よりも論文を書くことに精を出すので、特許は企業、研究は大学、という役割分担を明確にしている。
この特許制度の壁を突破するための試みを東京工業大学でも始めているが(参考資料2)、d.labはさらに進んで、インキュベーションセンターを通して開発した製品の技術特許は企業に帰属するようにしていく。さもなければ大学発のベンチャーも企業との共同研究も活発化しないからだ。起業から利益を生むような企業に成長すれば、自ずから税金を国に納めるようになり、結局は国益に適うことになる。
因みにd.labのdの意味は、誰でも思いつくDigitalやDataだけではない。物事を包含して理解する5W1Hになぞらえて表現した。When(いつ)はDigital inclusion(Society 5.0)の時代、Where(どこで)はDormitory(850名が宿泊する寄宿舎である目白台インターナショナルビレッジ)、Who(誰が)は、Data駆動型サービスのアイデアを持つ者、What(何を)はDomain-specific(分野に特化)なシステムDesignを研究、Why(なぜ)は、ゲームチェンジが起きるから)、How(どのように)は、ソフトウエアからDeviceまで一気通貫して行う。Why以外の全てにDがつく。Dの時代かもしれない。
参考資料
1. 東大とTSMCが包括提携、3nm以下のLSI実現に向けた国際協力へ (2019/11/28)
2. 東工大の益体制、全学挙げて産学協同に取り組む (2020/03/05)