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実態&打開模索の継続/懐かしのJEDEC/グローバル雑学王−34

東京では2回目の開催というJEDEC meetingがあるという連絡を受け、顔を出して久しぶりの懇親である。小生には、30年にも及ぶJEDECとのつながりであり、グローバルにお付き合いすることの重要性、楽しさ、そしてなにより厳しさも感じさせられたし、その余韻が今なお続くところである。

≪実態&打開模索の継続≫

まずは、現下の実態、そして必死に打開を図る様々な動きに対するコメントである。

◇January chip sales seen down 30% year-on-year (EET)(2月27日付け EE Times)
→Carnegie Group(Oslo, Norway)発。1月の3ヶ月移動平均グローバル半導体販売高は$15.1B、2008年12月の$17.7Bから低下の見込みの旨。

米国SIAからの世界半導体販売高・月次発表に先行しての予測である。上昇への転回点がいつという論議が各方面で取り沙汰されているが、半導体業界もこの落ち込みでは、きめ細かく上昇、回復のセグメントを追っていくことという感じ方になる。

◇Micron agrees to release DRAM technology to Taiwan(2月27日付け DIGITIMES)
→Nanya TechnologyおよびInotera Memoriesの親会社、Formosa Plastics Groupが台湾政府に保証、Micron Technologyが、台湾が計画しているstate-run DRAM会社、Taiwan Memoryに、特許2,500件以上をリリースする旨。Micronはまた、Taiwan Memoryに出資、大株主の一員になる計画の旨。

メモリが中核であるJEDEC meetingの今回でも、どの程度話題になったかどうか。特にDRAM業界の再編は、上記の動きでまだまだ予断を許さない雰囲気を感じている。

◇Automotive electronics to recover slowly after deep dip(2月26日付け EE Times)
→Databeans発。車載関連半導体市場は2008年$20Bに達してから、現在の不況で25%落ち込む見込み、搭載volumeアップで2009年から2014年でCAGR 8.5%、2014年までには約22.5Bに達すると見る旨。

あの「東京モーターショー」が、米国ビッグスリーがそろって出展見送りを表明したのに続き、国内商用車メーカーも不参加の意向で、規模縮小が避けられない状況とのこと。今回の不況のインパクトの度合いを知らされるが、半導体業界にはますます比率が高まって大きく左右される市場分野であり、本当に気になる回復の読みである。

今年、2009年の半導体市場売上げについて、調査機関各社の予測が次の通り出揃ってきている。これも随時見ていかないとなかなか落ち着かない、そのような気分で対峙せざるを得ないここ当分ということと思っている。

◇Semi revenue to decline 20% or more in 2009, three research houses report-In a trio of negative reports, Gartner, IDC, and In-Stat estimate semiconductor industry revenue will fall between 20% and 33% this year, with modest growth returning in 2010.(2月25日付け Electronics Design, Strategy, News)
→調査各社の2009年販売高減少率:
  Gartner  22% to 33%
  IDC     22%
  In-Stat   20%


≪懐かしのJEDEC≫

小生がJEDECメモリmeetingに最初に出席したのが1980年、実質的に参加したのは1995年までである。その後の理解不足もあろうということで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を見ると、掻い摘んで次の通り説明されている。

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JEDEC
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JEDEC半導体技術協会(英:JEDEC Solid State Technology Association)、 以前はJoint Electron Device Engineering Council(JEDEC)あるいはJoint Electron Device Engineering Councils(電子機器技術評議会)と呼ばれた。
半導体技術の標準化を行うためのElectronic Industries Alliance(EIA)の機関で、電子技術業界のあらゆる領域を代表する事業者団体である。

[起源]
JEDECはEIAと米国電機工業会(NEMA)の、半導体素子の標準規格を創設するための共同事業として1958年に設立された(NEMAは1979年に離脱)。

[試験手法および製品の標準規格]
JEDEC は多数の試験方法および製品の標準規格を策定している。たとえば静電気の警告の記号である線がついた手の記号はJEDECにより発表され世界中で用いられている。
JEDEC は素子間のインタフェースについて広く用いられている標準規格を発行している。例えば、DDR SDRAM規格を含むコンピュータのメモリ(RAM)のためのJEDECメモリ規格などである。

1999年秋に、JEDECは独立した事業者団体となったが、EIA連合の中にはとどまっている。新しい組織は'JEDEC Solid State Technology Association'と呼称する。
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1980年代前半の当初は、年4回、米国内での開催である。日本勢各社のDRAMが世界シェアを伸ばしていった絶頂期であるが、展開の方向性は米国がリードしなければと、丁々発止の雰囲気に溢れている。当時は全体で30人程度の出席だったろうか、最初は日本勢は探すほどの数人であったのが、だんだんと各社数名規模になっていったかと思う。

始めはバイポーラメモリとMOSメモリの2つのセッションがあって、後者が伸びて枝分かれしているが、手元の目についた記録から以下の内容があり、1980年代はこの流れで展開していったと思う。

○ 1989年5月15-17日 米国San Diego
 JC-42.1 Bipメモリ
 JC-42.3 MOSメモリ
       DRAM
       VRAM
       Modules
       SRAM
       Byte/Word-Wide

小生が出席した最後の方から、次の通りである。

○ 1994年9月12-15日 米国ニューメキシコ州アルバカーキ市
 JC-42.1 Programmable Logic Device
 JC-42.4 Non-Volatile Memories
 JC-16  Low Voltage Interface
 JC42.3 Volatile Memories
  42.3A SRAM
  42.3B DRAM
  42.3C VRAM / GRAM

そして今回、頂いた関連資料から抜き出しで以下の内容と理解している。

○ 2009年2月23-26日 東京・新宿
 23日 JC42.2(SRAM)
     JC42.4(Flash)
     JC64(Flash Card, SSD)
     JC63(MCP)
     JC16(I/F)
 24日 JC42.6(LP Memory)
     JC42.3(DRAM)
 25日 JC42.3(DRAM)-continued
     JC45(Memory Module)
 26日 JC45(Memory Module)-continued
     JC40(Logic)

25日のJC45散会間際に顔を出したが、70-80人の出席者で順調に増え続けているという印象である。昨年12月の会議も米国本土を離れた開催で、約75社/130名の出席に上ったとのことである。当初の30人程度が、今は100人余りに拡大していることは間違いない。そうはいえ、昔からの顔馴染みメンバーからお互い久々、驚きの声がかかってくる。お互い30年前にも遡って共有する業界の推移であり、それぞれの半導体人生としていつまでも続くお付き合いという確信がある。

当初の米国本土内の開催から、今は欧州、中国、東京など半分は外に出ているとのこと。小生も、DRAMでのJEDEC参加から、グローバルな視野、視点への関心が高まってきたことも間違いない。以下の≪グローバル雑学王≫のコーナーもその流れと納得しており、果てしなくいつ終止符を打てるのかというところがある。


≪グローバル雑学王−34≫

本当に奥の深いイスラームの世界、知れば知るほどこれも果てしなく深まるという感じ方になる。

『イスラームの世界地図』(21世紀研究会 編著:文春新書 224)

から、以下、文化的な切り口を主に入っていく。

◎ハーレム タブー 犠牲祭

[偶像崇拝禁止とイスラーム美術]
・イスラーム世界には、キリスト教世界で宗教美術といわれるような、宗教画、聖像はまったくない。
・抑圧されたがゆえに花開いた独特の美術も。 
 →ミニアチュールと呼ばれる細密画
・装飾芸術の発展 →アラビア文字のカリグラフィー
            →幾何学的なアラベスク模様
            *コルドバの大モスクの壁面装飾(9〜10世紀:スペイン)
            *アルハンブラ宮殿の壁面装飾(14世紀後半:グラナダ、スペイン)
・コーランの聖句を書き写すことに価値 
 …仏教における写経と通じるところ
・アラビア文字の書体
 クーフィー体
 ナスヒー体
 スルシー体
 ルクア体
 ディーワーニー体
 ファーリシー体
 マグリビー体

[コーランとアラビア語]
・イスラームに帰依 →必然的にアラビア語を学ぶ道を選ぶことに
・学問の庇護 :アッバース朝、第7代目カリフ、アル・マムーン(在位813〜833年)の時代
           →「知恵の館(バイト・アルヒクマ)」という研究所を設立
・9世紀、ペルシア語による文芸復興運動

[ハーレムと奴隷と宦官]
・ハーレム …アラビア語のハラーム(禁じられたもの)から生まれた言葉
       :女性専用の場所
・女性を不特定多数の男性から隔離し、それぞれが生活の場を区分けするという建築様式の考案
 *アッバース朝を描いたとされる『千夜一夜物語』には、360もの部屋があるハーレムが登場
・主人が安心して就寝し、確固たる血統を守っていくためにハーレムは作られ、財力に応じて巨大化。
・イスタンブールの旧市街、観光名所のトプカプ宮殿にもハーレムが残る。
 →約300室。男子禁制、管理を任されていたのは宦官。
 →その歴史には厳しい生存競争
  ⇒オスマン帝国の崩壊とともに解体

[野犬に喰われた女性スルタン]
・エジプトでは、ハーレム出身の女性スルタンが出現
 →シャジャル・アッドゥッル(真珠の樹)と呼ばれる
 →クレオパトラ、シバの女王とともに、中東世界の三大美女の一人
・アラブ・イスラーム史上はじめて、女性が国の最高位に
 :マムルーク朝(1250〜1517年)
・もの凄い女傑の生涯のエピソード

[トルコの風呂とは]
・風呂は、アラビア語でハンマーム(またはハマーム)。
・カイロ、ダマスカス、イスタンブールのような大都市には、今も公衆浴場としてのハンマーム。
・12世紀、十字軍がアラブと戦うためにカイロの地へ
 →母国で風呂という習慣を広めていった。

[迷路とタブー]
・中東、迷路感覚に陥る旧市街
 →住宅街の方であり、プライベートな空間を侵入者から守るような構造
・モスクや、市場が開かれる場所は、どこからも行きやすい場所に
・イスラームのタブー
 →よく知られる、アルコール飲料とブタ肉
 →ほか、賭け事、偶像崇拝、左手を不浄とすること
・定められた手続きで処理された肉しか食べてはならない
 →ハラール肉(許された肉)

[断食明けの祭り]
・イスラームの暦には、イード(またはバイラム)と呼ばれる2つの大きな祭り
≪1≫ 断食明けの祭り(イード・アル・フィトル:Eid Al Fitr)
・断食のはじまり →宗教指導者が新月を見て決定
           →イスラーム各国によって少しずつ違ってくる
・子供であれ断食をする 
 →苦行の達成感とイスラーム共同体の一員になったという連帯感を体験
・断食を終わったという解放感は、社会全体からも感じられるところ

[犠牲祭で知る生と死]
≪2≫ 犠牲祭(イード・アル・アドハー:Eid Al Adha)
・巡礼月(ズー・アル・ヒッジャ)の4日間の祭り
・宗教的意味合いが非常に強い祭りの最終日
 →供え物として連れていった家畜を捧げる
・犠牲祭が近づくと、数日前から犠牲祭用のヒツジが売られるように
 →現代の欧米や日本ではありえない光景

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