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劇的な回復の流れから、クールダウン、小康状態の市場

昨年第一四半期、1-3月の底の底との比較数値に見慣れてしまうのは致し方ないが、今年前半の半導体、デバイス市場の伸びは、予測の節目ごとに上方修正されてきている。ここにきてやはり理性的な落ち着きを取り戻してきているということかもしれないが、一服感のある市場の空気、見方が支配的になっている。現下の政治問題に振り回される影響を合わせて、それこそさらに理性的に考えていく必要があると思う。

≪入り混じる態様≫

一服感のある凪の状態が市場に見られるなか、新興ファウンドリー勢力の急発進が見られる。

◇Will GlobalFoundries succeed or fail? (9月20日付け EE Times)
→IC市場の突然で不安を引き起こす小康状態にも拘らず、積極的なSiファウンドリー戦略を擁して全速力で突き進むGlobalFoundries社について、アナリスト連の見方。

半導体市場の全体的な現時点は、次のまとめになるかと思う。

◇Is IC market going up or down? (9月21日付け EE Times)
→IC市場に入り混じった信号、今年は驚異的な30%以上の伸長を予測する向きがある一方、現時点、PC, LCD, LEDなどの市場は、不調ではないものの季節的な小康状態の様相の旨。

市場全体のこれからを見る大きな指標の一つ、ディスクリートについて、これから来年始めにかけて以下の価格動向の見方がある。

◇Discrete prices, lead times rise, says iSuppli(9月22日付け EE Times)
→iSuppli発。製品入手のリードタイムが延びて、ディスクリートelectronicコンポーネントの価格が、2010年第四四半期に上がる見込みの旨。

◇Discrete component prices set to slip in Q1, lead times remain extended (9月22日付け Electronics Design, Strategy, News)
→iSuppli社からの最新レポート。ここ数四半期の間にコンポーネントメーカーが謳歌している価格上昇は終わりにきており、2011年第一四半期には需要軟化で価格が低下する見込みの旨。しかしながら、リードタイムは依然延びたままであり、エレクトロニクスsupply chainを複雑にしている旨。

昨年があまりの底であったから、取り戻す熱気に満ちた今年前半から、ブレーキをかけてよく考えて行動するタイミングになっている、という以下の見方である。最も近いところではAMDが業績予測の下方修正を行っているが、PC市場をやはり軸とした敏感な反応ということと思う。

◇Analyst: Chip market correction 'imminent' (9月22日付け EE Times)
→The Information Networkのpresident、Robert Castellano氏。半導体業界のビジネス模様が悪くなっており、先導指標が切迫した調整段階を指し示している旨。2010年の半導体分野は惨憺たる2009年からの劇的な回復を謳歌しているが、その流れはほぼ終わっている旨。

◇September IC weakness raises red flags (9月23日付け EE Times)
→VLSI Research社のchief executive and chairman、G. Dan Hutcheson氏。現時点、アナログ、メモリ、PC用半導体など市場は、不調ではないにしても季節的な小康状態の様相、今年に入ってからの熱い活況を経て、IC業界はある程度クールダウン、理性的な成長サイクルにさらに回帰している旨。

なかなか一律にはいかないところがあるが、LCD-TV市場は価格低下の鈍化や消費者の警戒感などで今年前半は低迷状態、これからの伸びを予想している。

◇Recovery seen in LCD-TV market (9月24日付け EE Times)
→iSuppli社発。第二四半期の低迷にも拘らず、LCD-TVsは今年後半に持ち直しが見込まれ、グローバル出荷が、2009年143.4M台から20.9%増、173.3M台に2010年は増えると見る旨。
今年の出荷台数の推移&予想:
        第一四半期 第二四半期 第三四半期 第四四半期
 前四半期比  20.2%減   3%増    14.9%増  17.9%増


≪市場実態PickUp≫

デバイス、エレクトロニクス業界の激変を反映して、大手プレーヤーの覇権拡大の動きが増してきている。知恵と工夫、食うか食われるか、一層の激しさ、厳しさである。

【群雄割拠】

◇Nvidia: ARM smartphones will bury x86 PCs (9月23日付け EE Times)
→Nvidiaのannual conferenceにて、同社chief executive、Jen-Hsun Huang氏。smartphonesおよびtabletsがx86 PC業界構造を急激に変えており、ARMがIntelを打ち負かしている旨。

◇Analyst: iPhone to sole source Qualcomm chip(9月21日付け EE Times)
→FBRのアナリスト、Craig Berger氏。Qualcomm社が来年までに、Apple社からのすべてのiPhonesで、Intel/Infineonからのcell-phoneチップセットに取って代わる可能性の旨。

◇Oracle to acquire chip companies, analysts say AMD, ARM, Nvidia could be targets (9月24日付け Electronics Design, Strategy, News)
→昨日のOracleのannual meeting(San Francisco)報告より、同社CEO、Larry Ellison氏は、AppleのSteve Jobs氏のようなさらに上を欲しており、自前のIP portfolioを構築、最終製品技術でもっと大きなstakeを得るよう、半導体設計会社を買収する意向の旨。

DRAM、フラッシュのモバイル・アプリの展開も、一層の容量を食う様相が続いている。

【拡大一途のメモリ使用】

◇NAND usage in tablets expected to triple (9月20日付け EE Times)
→iSuppli社(El Segundo, Calif.)発。Apple社のiPadなどtabletコンピュータでのNANDフラッシュメモリ使用が、2010年428 million Gバイトから2011年には296%増、1.7 billion Gバイトに達する見込みの旨。向こう数
年、引き続き着実に上がって、2014年までには8.8 billion Gバイトになると見る旨。
・2010-2014年の予測グラフ、下記参照。
http://www.eetimes.com/ContentEETimes/100920_isuppli_nand_tablets.jpg

◇RIM: Smartphone OEMs face memory challenges (9月23日付け EE Times)
→2010 Non Volatile Memory Conference(SANTA CLARA, Calif.)にて、Research in Motion(RIM)のメモリ開発director、Karin Werder氏。モバイル製品がますます洗練され、データ集約的になって、smartphoneメーカーはメモリ前線でいくつかの新たな課題に直面、今後のsmartphone設計でのメモリについてはソリューションよりは不安定さがある旨。

魅力あるアプリもここまできているのか、と感じる以下の内容である。ゴルフの腕が誰でも一段と改善するかどうか、結果が見ものである。

【どこまで使える?】

◇Firm rolls digital golf glove (9月23日付け EE Times)
→ドイツのSensosolutions GmbHが、世界初、ディジタルセンサを内蔵したゴルフ手袋を発表、SensoGloveの1.2-インチLEDディジタルモニターが、手袋全体に配置されたセンサを通してスイングの圧力を分析、正確、円滑、そして力強いスイングにもっていく旨。

◇Wireless broadband in planes comes one step closer(9月23日付け EE Times)
→飛行機の乗客にワイヤレスconnectivityなどのサービスを供給するRow 44In-Flight Broadband Systemについて


≪グローバル雑学王−116≫

果てしない中東での戦争、戦闘、テロの根源にある、イスラエルとパレスチナが置かれている対立関係の発端、経緯、そして今を、

『<中東>の考え方』 (酒井 啓子 著:講談社現代新書 2053)
 …2010年5月20日 第1刷発行

より辿っていく。戦う武器が自分のからだしかなくなるまでも、という究極の理不尽さを感じる内容である。


[(続き)第2章 パレスチナ問題とは何か]

1 中東の人々のアイデンティティーを考える

○そもそもアラブ人とは?
・「アラブ人」
 …「自分もしくは先祖がアラビア半島出身であると意識してアラビア語を母語とし、先祖たちならびにイスラームが築いてきた文明的遺産を誇り、継承しようとしている人びと」(『岩波イスラーム辞典』)

○「アラブ民族はひとつ」という思想
・第一次世界大戦(1914-1918年)のころ →この思想
・「西欧列強の進出」 →民族意識の高揚

○「人工的な国分け」への反発とアラブ民族主義
・第一次世界大戦末期、大英帝国は、フランスとともにオスマン帝国領土の山分け
・「小分け」が、アラブ人たちのさらなる反感へ
 →「ウチ」意識が、「イラク」とか「ヨルダン」とか、人工的な国に分離
  ⇒アラブ民族主義の出現

○イスラエルの建国
・1917年、英外相、アーサー・バルフォアが、ユダヤ人の「民族的郷土」をパレスチナにつくることに合意する書簡
 →バルフォア宣言 ⇒後世に禍根
・なぜ、ユダヤ人たちは「外」からパレスチナの地に?
 ⇒現在のパレスチナ問題の原因

○シオニズム思想
・ユダヤ人による国家樹立、というシオニズム思想
 →1897年、世界シオニスト機構設立が契機
・そもそも、ユダヤ人とは。ユダヤ教徒のこと
 …しかしながら、近代ヨーロッパでの環境
 →ロシアやフランスなどでは、ユダヤ教徒に対する差別、迫害が広がる
・ならば、「ユダヤ教徒」を「ユダヤ人」にする
 →シオニズム思想
・聖地エルサレムにかつて王国を誇っていたという、旧約聖書の「記録」
 ⇒ユダヤ人の共通の記憶
 ⇒「神に約束された土地」に国を作る、というアイディア …効果絶大

○イスラーム地域出身のユダヤ教徒「ミズラヒーム」
・ローマ帝国以来、ディアスポラ(「離散」の意)となったユダヤ教徒たち
・東欧系ユダヤ教徒      …アシュケナージ
 地中海沿岸出身のユダヤ教徒 …セファラディー
 →アシュケナージがセファラディーに対し社会的優位
・セファラディーのなか、地中海沿岸からアラビア半島、ペルシア湾岸まで、イスラーム世界に住んでいたユダヤ教徒たち
 …ミズラヒーム
・イスラーム世界に暮らすミズラヒームのほとんどは、シオニズムの必要性を共有せず
 →ヨーロッパから来たユダヤ教徒に比べて、イスラエル社会のなかで下位に位置づけ
・イスラエルができたこと 
 →ユダヤ教徒であること、アラブ民族であること、その間の二律背反性

○イスラエルに暮らすアラブ人「イスラエル・アラブ人」
・イスラエル国籍を持つ非ユダヤ教徒も存在
 →建国直後は人口の14%弱、2008年現在では二割超
・非ユダヤ教徒のアラブ人やその他の少数民族が、ユダヤ人たちに比べてさまざまな不利益

○国民とはなにか
・イスラエル・パレスチナ問題は、本質的には、「国民とはなにか」という深遠な問題
・近代国民国家の思想 →「国民」アイデンティティーがすべてに優先
           →それ以外のアイデンティティーは背後に

○移住と衝突
・1918年、パレスチナに住むユダヤ人は6万人弱
 →イスラエル建国の2年前、1946年には10倍に
・イスラエル建国 →70万人にのぼるパレスチナ人が難民に
・1948年のイスラエル建国
 →ユダヤ人たちには歓喜の出来事
 →追い出された人々にとっては、「ナクバ」、つまり大厄災
・イスラエル側の考え
 →パレスチナに住まなくとも他のアラブ民族の住む地でアラブ民族として生活すればよい
・一方のアラブ諸国
 →ユダヤ教徒だけを集めて国民とするという発想はおかしい
・お互いに相手が、国家を担う資格を持つ「国民」のレベルにはない人々、との考え
 →相手の存在を認めない

2 パレスチナ問題をふりかえる

○「ゲリラ」から「テロ」へ
・「第◎次中東戦争」  →1973年までに4度
 1980年代以降の「戦争」→ペルシア湾岸に舞台が移る
・アラブ・イスラエル対立の問題の経緯
 最初は国家が乗り出した形で「戦争」
  ↓
 国家が紛争から手を引いて「ゲリラ」戦に
  ↓
 戦う武器が自分の体ぐらいしかなくなる
・戦争から「テロ」へ …イスラエルとアラブの力関係の変化

○イスラエルの外交戦略「一国ずつの和平協定」
・中東戦争の結果 
 →ガザ地区というパレスチナ人地域を占領し、ゴラン高原をシリアから、シナイ半島をエジプトから奪って、占領地を拡大
・イスラエルの発想は単純
 →一ヶ国ずつを個別に相手、戦争をしないという「和平協定」を結べばよい
・1979年の二国間和平条約調印 →エジプトとイスラエルの和平は成立
 ⇒サーダートは「裏切り者」として、1981年に暗殺

○アラファートPLO議長の登場
・第三次中東戦争でアラブ側は屈辱的ともいえる敗北、パレスチナ人は西岸やガザ地区(建国時、イスラエル領土を逃れた難民が住む)すら失う
・1969年、ヤーセル・アラファートが、PLO(パレスチナ解放機構)議長に就任
 →パレスチナの土地はパレスチナから追い出された自分たちが取り返す、ゲリラ(「非正規軍」)戦術を展開
・ヨルダン王政が、1970年9月、PLOを追い出す決断
 →1972年、ミュンヘン・オリンピック事件
・1982年、イスラエルはレバノンに大規模侵攻
 →PLOをかの国から追い出し

○占領地のパレスチナ人たち
・レバノンを追い出されたアラファート →地中海の彼方、チュニジアへ
・1980年代末から1990-1991年にかけての一連の事件
 −第一次インティファーダ(民衆暴動)
 −1987年12月、子供や老人を含めたさまざまな占領地の人々が、立ち上がった
 −東欧では、市民の手によって共産主義体制が崩壊へ…自由の象徴
 −イスラエル軍に立ち向かうパレスチナの少年の姿 …  〃
・占領地全土に広がった底辺を支えるパレスチナ住民の反乱
 →イスラエル経済を圧迫

○アメリカはなぜパレスチナ問題に関わったか?
・1990年、湾岸危機/湾岸戦争
・「アメリカは産油国クウェートは救うが、パレスチナは見捨てている」という印象を払拭、パレスチナ問題に対して積極的に関与
 →1991年10月、マドリードでの中東和平会議開催に

○オスロ合意
・1993年、オスロ合意
 …暫定的に一部のパレスチナ地域で自治を開始
 →ヨーロッパの小国、ノルウェーが、秘密裏に取りまとめ ⇒世界は仰天
 →根本的な問題を棚上げにして、とりあえずできるところから進める、という方法
・アラファート、ラビン首相、ペレス外相に、1994年のノーベル平和賞
・前に進めば進むほど、棚上げした問題の難しさは、深刻さを増す一方
 →ジレンマに陥った自治政府を担うPLO

○細切れになっていく自治地域
・入植地を手放さないイスラエル
 →パレスチナ側に返還できる土地は、面積にも限られ、ズタズタに細分化
・1998年、和平交渉の継続を定めたワイリバー合意
・2000年、キャンプデービッドでの首脳会議
 →自治区は飛び地の連続、とても一体性を持った領土とはいえない代物
 ⇒パレスチナ側は、断固拒否
・イスラエル、アリエル・シャロン党首(当時野党)の「係争地への凱旋」
 …挑発そのもの
 →第二次インティファーダ、別名アルアクサー・インティファーダが発生

○分離壁で切り離されて
・2002年ごろからは入植地との間に巨大な分離壁
・2008年末〜2009年始め、イスラエル軍は、イスラーム主義勢力のハマースによる砲撃を理由に、ガザに対して激しい空爆
 →パレスチナ人の死者1400人超、イスラエル側は13人
・ガザでは、ハマースは住民から広い支持
 →占領地住民の生活を支えるさまざまな社会活動
・集中砲火を浴びてもなお叫び続けるハマースは、パレスチナ人の抵抗の象徴

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