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「陽だまりの樹(ひだまりのき)」症候群

表題は筆者の造語であるが、『陽だまりの樹』1とは日本を代表する漫画家手塚治虫2氏の作品名であり、その中で手塚氏は曾祖父にあたる手塚良庵の生きざまを柱に、幕末から明治維新にかけての激動の時代を描いている。

本題から少し離れるが、手塚氏と曾祖父の手塚良庵との出会いが非常に劇的であるので紹介したい。

 日本医史学会常任理事の深瀬泰旦氏が幕末から明治にかけて地域医療に従事した医師の事跡を調査中に手塚良庵に行き着いた。神田お玉が池に創設された種痘所3の「設立拠金者名簿」および大坂にあった緒方洪庵の蘭学塾「適塾4」の入門帳「適々斎塾姓名録」の両方に手塚良庵の名前を発見し、その調査結果を7編の論文にまとめ『日本医史学会雑誌』などに発表した。
 一方、手塚氏は1980年に順天堂大学の大学祭で講演をし「私の先祖も医者なのですが、どんな人であったかさっぱりわかっていません」と述べたところ、たまたま聴講者の中に深瀬氏の論文を知っている人がいて手塚氏に伝えたことから話が展開する。その結果、手塚氏自らが深瀬氏の自宅を訪問して『陽だまりの樹』が生まれたというウソのような本当の話である5。事実は小説より奇なり。
 手塚良庵は1877年に西南戦争に軍医として出征し、戦闘終結の二日後に赤痢にかかり、約2週間後に大阪陸軍臨時病院で亡くなっている。彼が学んだ適塾が大阪大学医学部の前身であり、手塚氏本人も同大学医学部の卒業である。何か因縁めいている。

 前置きが随分と長くなってしまったが、これからが本題である。先ずは手塚氏の作品『陽だまりの樹』の中に出てくる「陽だまりの樹」について。

 時期は幕末の設定で、二人の若い侍が教えを乞うために水戸藩の碩学で当時学校奉行の任にあった江戸小石川の藤田東湖6宅を訪ねた。家康が入城の頃に若木であった庭の老木を見ながら「この桜はぬくぬくと三百年、太平の世に安泰を保ってきたわけじゃ・・・」「ところが、知らぬ間にこれこのとおり白蟻や木喰い虫の巣になってしもうたわい」「太平の夢をむさぼるうちに幕府の中にも外にも白蟻や木喰い虫共がわいて、樹を食いあらしおった」「おのれの派閥だけを考えて逃げ腰で無責任なくせに利をむしばむやからが、政府の中にやたらにふえておるわ、獅子身中の虫共だ」「このままでは幕府は、いや日本は滅んでしまう!」と東湖の口を借りて手塚氏は言う。
 この文章中の「幕府」の代わりに「現在の日本」とか大企業の企業名を入れてもそのまま通用しそうな気がするのが悲しい。

 この話で思い出すのは7年前に筆者がある大手電機メーカーに仕事の提案を持っていった時のことである。とりあえずは担当者と話をするつもりで伺ったところ、部長クラスの方が4名も出てきていただいた。最後にその中の一人が「よく検討して、後日ご連絡させて頂きます」ということで話は終わり、後日、丁寧な断わりの手紙を頂いた。
 この一連の流れは丁重そのもので何一つとしておかしな点はないが、直感的にこの大手電機メーカーが「陽だまりの樹」症候群に陥っていることを感じさせた。ところがそれから5年後、社長が交代して新社長が就任した。その新社長とは一面識もないので個人的なことはわからないが、新聞・雑誌などの報道でみるかぎり次々と新しい決断をし、攻めの経営を鮮明にしている。半導体分野においても積極的に戦略的な投資を行い、現在ではその大手電機メーカーは業界における元気印の代表格となっている。
 「組織は頭から腐る」と名言を吐いた人がいるが、まさに言い得て妙である。この逆をいえば「組織は頭から蘇る」のである。一人のリーダーが組織を救う。企業のトップだけではなく、いくら小さくともそれぞれのグループのリーダーがそのグループを生き返らすことができる。「陽だまりの樹」症候群もリーダー次第で活き活きとした正常状態に戻ることが可能であると強く信じる所以である。


注1 「陽だまりの樹」:1981年から86年まで「ビッグコミック」に連載され、1995年に小学館から文庫本全8巻として出版された手塚治虫氏の後期を代表する長編漫画作品。

注2 手塚治虫(てづか おさむ)(1928〜1989年):大阪大学付属医学専門部卒業。医学博士。作品に『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『火の鳥』など。日本を代表する漫画家。

注3 種痘所:大槻俊斎、伊東玄朴、手塚良庵の父良仙など江戸の蘭方医が奔走して1858年に神田お玉が池に創設された。その後、本郷に移転し西洋医学所となり、現在の東京大学医学部の前身となった。

注4 適塾(てきじゅく):緒方洪庵(おがた こうあん)が1838年に大坂船場にひらいた蘭学塾、1843年に北浜へ移転。正式名は適々斎塾。橋本左内、大村益次郎、大鳥圭介、福沢諭吉など多くの人物を輩出した。大阪大学医学部の前身。1942年に適塾の建物は緒方家から大阪帝国大学に寄贈され、国の重要文化財として現在も大阪大学が保存管理し、一般公開されている。幕末当時の息遣いを肌で感じることができ、一見の価値がある。

注5 深瀬泰旦:「エッセイ 手塚家のルーツと『陽だまりの樹』」より、手塚治虫著『陽だまりの樹』第1巻の巻末、小学館文庫、pp.320-325、1995.

注6 藤田東湖(ふじた とうこ)(1806〜1855年):幕末の思想家で儒学者。水戸藩士。

光和技術研究所

代表取締役社長

禿 節史(かむろ せつふみ)

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