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エルピーダ破綻に盛者必衰の理〜88年「DRAM戦線は日本圧勝、世界シェア9割」

「エルピーダ破綻の記者会見を見ながら涙が止まらなかった。自分たちが命を賭けて作ったDRAM王国がついに崩壊したかの想いが強い。その2日後の東京は一面の雪に覆われ、赤い寒椿がニッポン半導体の血の色に見えた」(国内半導体メーカーOB)。

筆者の実家は横浜伊勢佐木町の裏にあり、創業100年を超える蕎麦屋である。寒さでかじかんだ手をこすりながら熱燗の酒を一気飲みし、従兄弟に当たる店の主人が作ってくれたあつもりを食っていたら、昼間かかってきた日本の半導体メーカーOBからの電話の声が鮮やかによみがえってきたのだ。

寺山修二は、石川啄木の本歌取りともいうべき和歌を次のように歌っている。
 「ふるさとの訛りなくせし友と居てモカ珈琲はかくまで苦し」
半導体記者を35年も続けてきて、エルピーダ破綻という悲報に接することになるとは思わなかった。寺山修二はコーヒーが苦いと言ったが、この日泉谷クンの飲む酒はもっと苦かった。あんなに強かった日本勢のDRAMが、今や音を立てて崩れていく。かつて、日本勢が歯牙にもかけなかった韓国のサムスン、ハイニックスに打ちのめされ、ついにこの日を迎えたのだ。

筆者の手元には1988年(昭和63年)の各種新聞の切り抜きコピーがいくつか保存されている。この年はまさにバブルの頂点に向かいつつある年で、日本列島は金まみれの社会となり、うわべの豊かさを謳歌していた。東証の平均株価は12月7日、ついに一時3万円の大台に乗り、財テクブームが加熱した。一足3万円の高級ブランドの靴下も飛ぶように売れ、都内のマンションの平均価格は1億円を突破した。巨額の金を操る銀行員や証券マンは町を闊歩し、「札束でビンタすればどんなものでも手に入る」と豪語していた。そしてまた、新聞のトップ見出しには次のような文字が躍っていた。

 「1MDRAM戦線は日本圧勝、世界シェア9割」
 「ニッポン半導体強し、今年のメーカー別世界ランキングも金、銀、銅独占」
 「弱体の外国系半導体シェア向上へ、UCOM、DAFS設立」

さらに、88年当時の新聞切り抜きコピーを読み進んでいくと、面白いものにつきあたる。88年3月のこと、社団法人トロン協会が発足し、オープンアーキテクチャーを基本に日本発の世界標準を目指し、トロン仕様の最初のマイクロプロセッサーチップが発表されている。打倒インテルののろしが高々と上げられていたのだ。しかし周知のように90年代に入ってインテルマイクロソフトによるウィンテル支配が席巻する。今ではトロンチップの名前さえ知らない人も多い。

NHKの大河ドラマ「平清盛」はそこそこの評判を取っているようだが、筆者は屋島の戦いから壇ノ浦の戦いだけは見たくない。あれほどの栄華を極めた平家が落ちぶれて西へ西へと向かい、本州のはずれである壇ノ浦で壊滅する。有名な平家物語のイントロには、「盛者必衰の理あり」と書いてあり、おごれるものは久しからず、とも記している。圧勝に圧勝を重ねたニッポン半導体の旗印であったDRAMは、23年の歳月を経てついにエルピーダ破綻というところに行き着いてしまった。

今夜も苦い苦い酒をあおりながら、なぜこうなってしまったのかを考えたい。そしてまた、「今やサムスンにあらねば人にあらず」といわれるその強さがいつまで続くのか、についても思いをめぐらせて見たい。

産業タイムズ社 代表取締役社長 泉谷 渉
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