日の丸半導体装置材料産業の空洞化・弱体化が懸念される対韓輸出管理強化
去る8月20日に東京で開催されたセミコンダクタポータル主催「世界半導体市場、2019年後半からの1年を津田編集長と議論しよう」に出席した。米中貿易戦争の激化、中国国内経済の悪化、英国のEU離脱による欧州の混乱に加えて、日本政府の韓国向け半導体材料管理厳格化に端を発した日韓紛争により世界半導体産業の予測がますます難しくなってきた。さらには韓国をいわゆるホワイト国(グループA)から除外する安倍政権の措置で火に油を注ぎ、日韓関係はますます混迷の度合いを深めている。
当然、津田編集長は、日韓貿易摩擦についても重要テーマとして取り上げ会場から質問やコメントを求めたが、筆者以外誰も発言しなかった。7月以来2ヵ月に渡り韓国向け売り上げが立たず実害を被っているのは大阪の複数の中小フッ化水素メーカーだけのようなので、ほとんどの装置材料メーカーの参加者には当面影響がなく、デバイスメーカーからの参加者にとっては他人事(あるいは思わぬチャンス到来?)だったのかもしれない。しかし、筆者は、7月1日の対韓輸出管理の厳格化の発表の直後から、「日本の材料・装置産業の空洞化さらには弱体化・衰退化が懸念される」と危惧の念を抱いている(参考資料1)。
以下に、韓国半導体業界および日本半導体装置材料業界への影響について当日会場で説明した調査結果のアップデート版(9月1日現在)を掲載し、読者諸氏の参考に供したいと思う。
管理強化はポリイミド、フッ化水素、レジスト全般ではなかった
経済産業省は、7月1日に「大韓民国向け輸出管理の運用の見直しについて」という文書を突然発表し、「フッ化ポリイミド、フッ化水素、レジストの輸出管理を厳格化する」ことにした。これだけ読めば、3種類の材料はすべて管理厳格化の対象と思う方がほとんどだろうが。しかし、過去に何度も改訂されている経済産業省令(俗に貨物等省令と呼ばれる書類)を丁寧に検索すると次のようなものだけが該当することがわかる;
●フッ素の含有量が全重量の10%以上のフッ化ポリイミド
●フッ化水素の含有量が全重量の30%以上含まれる物質
●レジストであって、次のいずれかに該当するもの又はそれを塗布した基板
・15nm以上193nm未満の波長の光で使用することができるように設計したポジ型レジスト
・1nm以上 15nm未満の波長の光で使用することができるように設計したレジスト
・電子ビーム又はイオンビームで使用するために設計したレジストであって、0.01マイクロクーロン/平方ミリメートル以下の感度を有するもの
・45nm以下の線幅を描くことができるインプリントリソグラフィ装置に使用するように設計又は最適化したレジストであって、熱可塑性又は光硬化性のもの
韓国半導体製造ラインの稼働停止は回避の見込み
これらの輸出管理強化で輸出が滞ることで韓国半導体メーカーにどの程度影響があるのだろうか。まず、フッ化ポリイミドだが、半導体製造には使われていないので問題は生じない。ディスプレイ製造への影響について興味のある方は参考資料2を参照いただきたい。EUVレジストは、Samsungが7nmロジックデバイス製造/ファウンドリビジネスに少量使用し始めているが、同社は、JSRとベルギーimecが共同出資しているEUVレジストメーカーEUV Resist Manufacturing & Qualification Center N.V.(ベルギー)から購入するので、日本の輸出管理強化をかわすことができる。しかも、経産省は、すでに日本製レジストに関しても輸出許可を出し始めているので、レジストに関しても今後韓国での半導体製造に影響を与えない。
最大の問題となるのは、フッ化水素含有量30%を超える物質(フッ化水素の水溶液であるフッ化水素酸や無水フッ化水素ガス。以下貿易統計分類に従い「フッ化水素」と表記)で、韓国側から見れば日本政府による禁輸も同然だった。しかし、8月30日に、韓国のマスコミは、韓国政府通商資源部(日本の経産省に相当)関係者からの情報として「ステラケミファからSamsung向けのフッ化水素の輸出を日本政府が許可した」と報じた。中央日報は「今回、日本がフッ化水素の輸出を承認したのは(日本政府の)一種の『広報戦』と解釈される。韓国半導体業界が日本産フッ化水素の代替案を模索することにより売上減の脅威を感じた日本企業が(早急な)輸出認可を求めた点も作用した」と分析している。
ステラケミファは「7月4日以降の申請分の許可はまだ1件も出ておらず、必然的に出荷量は落ちている」(朝日新聞8月30日朝刊)と話していたばかりだから、 今回の韓国発のニュースは、同社にとっても寝耳に水の情報だったようだ。これでSamsungの半導体製造ライン稼働停止は当面回避される可能性が高まったと言えよう。通商資源部は、日本政府の対韓輸出管理強化が韓国半導体業界の製造ライン稼働に支障を与えた事例は9月1日時点で報告を受けていないという。だからといって、対韓輸出管理厳格化や韓国のホワイト国除外が中止されたわけではないので、こじれてしまった日韓関係が修復するきっかけにはなりそうにはない。
韓国内でフッ化水素増産や新規参入、Samsungは中国製採用を検討
ところで、韓国貿易協会の調べによると、フッ化水素のうち、日本からの調達分は4割程度にすぎない。森田化学によると、韓国向けの高純度フッ化水素の日本企業のシェアは6割で、4割は日本以外(中国、台湾など)から輸出されている。韓国には森田化学とステラケミファの現地精製工場(韓国資本との合弁事業)があるほか、ソルブレイン(Soulbrain)という大手フッ化水素メーカーも存在する(図1)。3千人を超える従業員を抱え、フッ化水素だけではなく700種もの半導体・ハイテク材料を製造する化学メーカーだが、日本ではほとんど知られていない。同社は、現在、フッ化水素製造プラント(第2工場)増設の突貫工事を行っているが、韓国半導体メーカーからの急な増産要請にはすぐには応えられてはいない。
図1 高純度フッ化水素を製造している韓国Soulbrain 社の化学工場:いままで日本に依存していた高純度フッ化水素ガスの供給も9月から可能になるという。 出典:Soulbrain社ウェブサイト
このため、韓国半導体メーカーは、非日本製(韓国製、中国製、日本企業の海外精製工場製などの)やフッ化水素を評価中と伝えられているが、今回の日本政府が輸出許可したフッ化水素の数量は不明で、Samsungは日本製だけで賄えるのか、それとも非日本製に乗り換えるのか、それとも購入先を多様化させるのか否かは本稿執筆時点では明らかではないが、以下に述べるように、リスク管理上、日本製への過度の依存はやめる方向だろう(なお、フッ化水素に関する韓国情勢の詳細は参考資料3参照)。
韓国と中国は半導体装置材料の国産化を急ぐ
韓国政府は、8月28日、今後3年間で4400億円以上の国費を投じて素材・部品・製造装置の国産化を進める方針を発表した。SK Hynixの親会社であるSK Holdingsは、傘下のSK Materialsで年内にもフッ化水素ガスを国産化する。韓国に留まらず、半導体工場を保有する国や地域では、材料や装置のサプライチェーンの見直しや海外企業の誘致を含め、自国内で調達する機運が高まるだろう。とりわけ、中国は「製造2025」 の趣旨に沿って、半導体デバイスだけではなく、材料も装置も国産化を急ぐだろう。
一方、日本勢はこのままでは国際競争力が低下してしまう。そこで、森田化学は、年内に中国浙江省の日中合弁企業で、設備投資費100億円を折半出資し、高純度フッ化水素の生産を始めることを決めている。需要に応じて中国から日本を経由せず韓国へも輸出するという。東京応化工業もすでに韓国にレジスト製造工場を持っているが、韓国内でのレジスト増産体制を敷きEUVレジストも韓国で製造開始する方向で検討中という。大手の住友化学は、韓国および中国で合弁事業を展開し、さまざまな高純度薬品や機能性化学製品を現地生産しているが、さらに多様な材料の製造移管も進めることになろう。昭和電工も中国の子会社での高純度フッ化水素ガス製造を強化する。
危惧される日本国内製造業の空洞化、弱体化
韓国勢は代替品を海外あるいは韓国内で調達できれば、「もはや日本企業に用はない」ということになる。森田化学の森田社長は「日本企業のシェアが下がりかねない」と危機感を表明している(日本経済新聞8月9日付)。SUMCOの橋本会長も韓国に対する輸出規制について「何一つプラスなことはない」とBloomberg(8月6日付)のインタビューで語っている。
自民党外交部会では、今年初め「フッ化水素を禁輸して韓国半導体産業をぶっ潰せ」というN国顔負けの過激な提案が議論されていたが(「自民党」「フッ化水素」で検索すれば驚くべき事実が浮き彫りにされよう)、思惑は完全に外れてしまって、結局は韓国半導体産業にダメージをあたえられなかったばかりか、アジアの安全保障を危うくするほどの最悪の日韓関係をもたらし、中露や北朝鮮を喜ばせ、さらに長期的には日本の半導体装置・材料産業の弱体化を招きかねない事態をもたらしている。
日韓関係が戦後最悪の状況にあるというのに、世耕弘成経済産業相は8月27日「(明日、韓国をホワイト国から除外することで)日韓関係に影響を与えることは意識していない」と平然と語っている。こんな感覚では、日韓関係は更に悪化するばかりで、経産省の手には負えないところへ来てしまっている。
経済学者(慶応義塾大学名誉教授)の金子勝氏は、8月29日に「対韓輸出規制は、歴史問題の政争に貿易を巻き込んだ『愚策』」と題する評論を寄稿し、「経産省は何があっても日本企業の利益を守らなければならなかったのに、それを突然、「歴史問題」の政争に巻き込み、逆に日本企業の利益を損なう危険性を引き起こした。このままでは日本の産業は滅びていくしかない」と結論付けている(参考資料4)。今回の「愚策」によって、日本材料・装置サプライヤの韓国や中国への製造移管による日本国内製造業の空洞化、さらには弱体化・衰退化することが懸念される。「韓国や中国がやれるわけない」などと思っていると、半導体、ディスプレイに次いで、半導体装置・材料までもいつか来た道を歩むことになるかもしれない。
参考資料
1. 服部毅:Huaweiへの禁輸解除や追加関税先送りの陰に半導体業界の圧力の最終節「経産省、通商政策に半導体材料を利用、日韓関係さらに悪化へ」、セミコンポータル (2019/07/02)
2. 服部毅:日本から韓国への輸出管理強化はディスプレイ部材市場にどう影響するのか?、マイナビニュース、 (2019/08/09)
3. 服部毅:対韓輸出規制強化開始から2か月、日本の半導体関連企業への影響は?(1) 7月の貿易統計で明らかになったフッ化水素の対韓輸出の状況、マイナビニュース (2019/08/30)
4. 金子勝:対韓輸出規制は、歴史問題の政争に貿易を巻き込んだ「愚策」だ、ダイヤモンドオンライン (2019/08/29)