英国特集2009・エジンバラ大学インフォマティクス学部に見る起業家の育て方
スコットランドは教育が充実している地域である。スコットランドのエジンバラ大学が発行するEdinburgh Friends最新号によると、19世紀には大学が5つもあったが、イングランドには2つしかなかったという。世界各地へ移民していったスコットランド人は大学という教育機関を世界各地に作った。19世紀、カナダの高等教育機関はスコットランドから移住した1世か2世が設立したと言われている。スコットランドの大学は、いまや企業の研究開発を受け持つようになっている。製品こそ作らないが、応用試作までは受け持つ。
これからの未来に向けて、ただしいつ実用化されるかわからない研究ではなく、試作して技術を実証するレベルまでスコットランドでは大学が受け持つ。日本の産業、大学とは役割がかなり違う。大学が自分の判断で研究を進めるのではなく、産業界からの要求をしっかりと受け止めてから、研究開発を行う。このため、産業界のすぐ役に立つ研究をしている。その実例をエジンバラ大学インフォマティクス学部で見ることができる。
エジンバラ大学インフォマティックス学部
スコットランドの代表的な大学であるエジンバラ大学では、インフォマティクス(informatics)というテーマに取り組んでいる。このテーマは情報科学ともいうべき新しい総合分野として定義したもの。自然のシステムや人工的なシステムが情報をどのように処理し、記憶し、やり取りするか、を探究する分野だと、エジンバラ大学インフォマティックス学部商用化部門ディレクタのJohn Colin Adams氏は言う。「インフォマティクスは、大学、産業界、社会すべてにわたる分野を取り巻く基礎科学でもある。具体的にはコンピュータサイエンスと人工知能、認識科学を基本原理にし、それらを包含するもの」としている。
エジンバラ大学インフォマティックス学部商用化部門ディレクタJohn Colin Adams氏
エジンバラ大学のインフォマティクス学部は欧州最大の規模を誇るという。研究者は470名、年間の研究費は1200万ポンド(18億円)以上費やす。「日本の大学はどうか知らないが、米国の大学ではコンピュータサイエンスを学ぶ学生の数は毎年11%の割合で減少しているが、英国ではこの3年間はむしろ増えている。昨年は27%増え、今年は昨年以上の勢いだ」とAdams氏は言う。
世界中から人材が集まる
このインフォマティックス学部は国際的なコラボレーションを重視しており、世界中から学生が集まり、全学生のうち47%が海外から来ており、全部で60カ国からにも及ぶ。日本からも3名来ている。教える教師側も英国以外に30カ国から講師などの任務に当たっている。日本からも1名、コムラ・タク講師が教えている。
インフォマティクス学部での研究分野は7つ。コンピュータサイエンスから人工知能、計算理論、頭脳研究、生体モデル、ロボット、言語構造である。例えば、コンピュータサイエンスでの主な研究テーマは、マイクロアーキテクチャとワイヤレスセンサーネットワーク。マイクロアーキテクチャでは合成可能なコアやDSP、ビデオプロセッサなどについて、英国のプロセッサメーカーとのコラボレーションを通じて研究している。ワイヤレスセンサーネットワークでは、環境分野から建築、医用分野までさまざまな分野の応用を研究している。例えば人間の動き検出・捕捉や患者の遠隔モニタリングなどについて、スコットランドの他の大学とも一緒に研究している。例えばグラスゴー大学とはDSPや材料でコラボレーションしている。もちろん自然界のエネルギーだけで電子機器を動かすハーベスティングエナジーも研究している。
インフォマティクス学部での研究テーマは広い
ロボット分野ではロボットそのものを作るのではなく、人体の骨格を真似ることに集中し、日本のホンダやドイツの企業ともコラボレーションしている。例えば産業用ロボットの多関節アームの急速な動きはある意味で危険を伴う。そこで、人間がロボットのアームを押すとまるで人間の関節のようにロボットアームがやや押されてしまうが、安定な位置で踏みとどまる、という行動をとるロボットを開発中だ。これだとロボットアームがたとえ人間にぶつかっても、アームはソフトに止まってしまい人間を傷つけることはない。いわば安全な産業用ロボットとして使える。
言語に関する研究といえども文学的な研究ではない。自然言語の理解を人間の頭はどのように処理しているか、それによって通訳機能の実現につなげる。特に、世界中でテレビ会議を行う場合に威力を発揮する。ここでは75の言語について研究している。
生物関係の分野は頭脳研究と、生体モデルがある。頭脳研究では病院と協力してマシンラーニングのアルゴリズムを研究する。生物との境界になる生体モデルでは、計算モデルでタンパク質を理解したり、生体のインフォマティックスについて研究する。
商用化するための知恵は何か
こういった分野をベースに研究テーマをいかにして商用化に結び付けるか。インフォマティクス学部にはコマーシャライゼーション(商用化するための)部門がある。「世界のトップをゆく、スタンフォード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)、CMU(カーネギーメロン大学)などの大学から生み出された研究成果は極めて大きな経済効果を生んできた。残念ながらスコットランドの大学はまだそのような経済効果は生み出していない。だから、Scottish Enterpriseとのスカラーシップを通じて産業を生み出すことに努めている」とAdams氏は言う。
ではどうやって起業を生み出すか。大学は研究を行うが、製品は作らない。どうやって産業界とクロスオーバーしていくか。どうやって新しいアイデアを生み出すか。「一つのモデルがオープンイノベーションだ」とAdams氏は言う。オープンな分野で大学の知恵を産業界へアピールする。一つの例が、インフォマティクス学部とRBS(The Royal Bank of Scotland Group)と協力して、新しいマイクロソフトのタッチスクリーン技術Microsoft Surfaceを利用した銀行端末のイノベーティブな使い方を研究することである。
このインターフェースはマイクロソフトが次世代OSに搭載するタッチスクリーンベースの机である。インフォマティクス学部の学生はこの問題を解くために1万ポンドの資金提供を得た。
マイクロソフトの次世代インターフェースMicrosoft Surface
もう一つの例はスマートフォンのアプリケーションである。「今のスマートフォンは80年代はじめのPCプラットフォームに似ている。ビジネス用途の携帯インターネットのプラットフォームを提案する」(Adams氏)。このために「米国のA社(開発メーカーや使用部品メーカーなどを決して公開させない米国のあるIT企業)やノキア、グーグルなどと協力して技術的なミーティングを持ち、スマートフォンのプラットフォームを作る」。Adams氏は「ICT企業を見るとみんな25歳以前に作った。マイクロソフトやアップル、グーグル、ユーチューブなどもみんな25歳になる前に起業した」という。だから若い学生にこういったプロジェクトを担わせるのだとしている。
インフォマティクス学部の7つのテーマをベースに、学生が起業できるように産業界とのインターフェースを大学が手伝う。そのインキュベーションセンターとしての役割もこの学部が担う。すでに7つの起業と5つの学生ベースの起業前インキュベーションがある。ウェッブベースマーケットのSNoCat.comや、ウェッブベースの通信ビデオを提供するVidioWIKI、ニュース予測ベースのソシアルウェッブサイトのHubDubなどが起業しており、学生ベースのインキュベーションとしても、ウェブ上での感情解析を行うAffectLabsや、位置ベースの携帯サービスのLoc8などがある。
資金を提供するベンチャーキャピタルとしても政府系、大学系、民間系などがある。大学系としては例えば、SICSA(Scottish Informatics and Computer Science Alliance)ではスコットランドの10大学がアライアンスを組み、SFC(Scottish Funding Council)が研究資金を提供する。学内にはInformatics Venturesというソフトウエア起業をサポートする組織がある。ここではSICSAグループ内の起業に対してERDF(European Regional Development Fund)から370万ポンドの資金がある。また、スタンフォード大学やMIT、ケンブリッジ大学と協力して起業家教育を行う。国内外の企業とのミーティングもある。資金以外の知恵も重要な要素である。