インダストリー4.0の本質に迫る!〜共有型社会へ向かう
インダストリー4.0の先頭に立つ半導体製造業。半導体製造では、製造装置に取り付けたセンサからのデータを企業内のサーバに送りプライベートクラウドで解析し、装置に情報としてフィードバックし、次のロットへの情報をフィードフォワードする。歩留まりを上げる上で、もはや欠かせなくなった。半導体製造の学会であるISSMのプログラム委員がインダストリー4.0を解説する。(セミコンポータル編集室)
著者:is sm(ISSMプログラム委員)
ドイツがインダストリー4.0の構想を発表してから久しい。このコンセプトが世の中に出てきてから、米国、英国、フランスなどの先進国は言うに及ばず、中国、韓国、インドのような新興勢力までもがインダストリー4.0を通じてモノづくりについて語りはじめている。
その背景には世界の多くの国が、日本が武器としてきたモノづくり分野で日本の牙城を崩そうとしている意図が透けて見える。一方、日本でも一時のブームは過ぎ去ったものの、未だにモノづくり関連の展示会や付随するセミナーで、インダストリー4.0という言葉をたびたび耳にする。政府関係者や産業界に身をおく者はインダストリー4.0の本質はよくわからないが、諸外国が日本のモノづくりの牙城を崩そうと意図していることを直感で理解しており、危機感を募らせているように思う。
私は、当初インダストリー4.0とは単なるデータ駆動型製造のコンセプトであり、多様化する商品をいかに効率的に生産するか、いわゆる多品種大量生産のコンセプトであると理解をしていた。もちろんサプライチェーン(SCM)に加えてエンジニアリングチェーン(ECM)に軸が加わって商品が顧客と繋がり続けるということを含んでいることも理解している。
しかし、もしそれだけなら今までの日本のモノづくりを超えるものではなさそうである。実際、半導体、化学プラント、医薬品など多くの製造現場がデータを活用したモノづくりを既に実践しており、例をあげれば切りがない。また、CIM(Computer Integrated Manufacturing)という言葉も日本では既に死語になり、今さらという感じがある。
インダストリー4.0の提唱者の一人であるドイツ工学アカデミーのカガーマン博士は、インダストリー4.0が従来と異なる点の一つは製造過程において部品が自ら加工先や装置を選ぶ、いわば自立型の製造にあるという(参考資料1)。もしこれだけなら、現在でもその一部は半導体などでやはり実現されている。ロット番号とMES(Manufacturing Execution System)と呼ばれる製造システムがそれである。ただ、私はインダストリー4.0を今まで述べたような単なる製造コンセプトと捉えるだけでは不十分と考えている。少々大袈裟かもしれないが、タイトルに掲げたようにインダストリー4.0の本質について述べてみたいと思う。
インダストリー4.0は、その性格上、IoT(Internet of Things)やビッグデータさらには機械学習や人工知能と関連付けて議論されることが多い。製造装置の場合、従来のM2MがIoTに相当する。ここで、少しインダストリー4.0から離れて、IoTについて述べたいと思う。
ご存知の通りIoTとは全てのモノがインターネットに繋がり、新たな価値やビジネスを生むというものである。技術というか、この潮流が生まれたお蔭で社会システムの変革が起こっている。私は全ての発端はここにあると思う。つまり、人(注)を含めて全てのモノがネットワークに接続できるということで、最適化が可能になった。共有型社会システムの出現である。
現在、多くの国々が資本主義、自由主義という立場を採っているが、資本主義、自由主義の社会システムでは、持てる者がモノを持ち、重複やロスが多く発生する。したがって、資本主義の社会においてはエコロジーという概念が生まれた。このエコロジーという考えは、個々人の活動で重複やロスを低減するものである。全体を俯瞰する共有型社会システムとは本質的に異なる。共有型社会システムにおいて、社会の広範囲で最適化が可能になったということが、重複やロスを最小化できるということを意味している。
少しわかりにくいと思うので、多くの実例の中から具体的な一例を取り上げて説明してみたい。タクシーの配車サービスで有名なUber(ウーバー)はまさにこの典型である。タクシーというハードウェアを自社で持てば車両購入のための投資が必要であり、事業規模は投資金額、つまり車両数によって制限されてしまう。しかも、全ての車が顧客を常に乗せているわけではなく、クルマの稼動(投資の回収)にもムラが発生する。当然、投資回収スピードや稼動損は利用者への運賃として跳ね返る。したがって、車両を購入せず、すでにある車両をできるだけ多く確保し、常に顧客を乗せることができれば、自らの投資金額を削減できる。ひいては利用者も安くタクシーを利用することができるわけである。これがUberのビジネスである。
このことを可能にしたのがIoTとしてのスマホであり、データを一元管理するクラウド技術である。カーシェアリングもそれと同様である。現在、多くの人々は車に限らず多くの移動手段を利用できる。クルマを移動手段の一つと考える人はクルマを積極的に所有したいとは考えない。彼らはより快適でより便利な移動手段を求めているにすぎない。そういう人々にとってはクルマを共有することに何ら抵抗がなく、極めて受け入れやすいわけである。日本の若者はその典型かもしれない。
ただし、一方で、このようなビジネスに対して否定的な考えを持つ人もいる。その人逹の言い分は、皆がそのように考えれば一体誰がハードウェアの費用(アセット)を負担するのか、というものである。やはりアセットを握っていることが重要であり、所詮、サービスをビジネスにしようとしても、アセットなくしては語れない。アセット所有者の理解がなければビジネスは成立しないであろう。したがって、 このようなアセットレスのビジネスは一過性で、今後も継続するものではないという意見である。
この意見は正しいように思われるが、私はそうは思わない。それは前述したように、このようなビジネスが社会課題から発生した社会システムの変革に根ざしているからである。ハードウェアの費用は皆で負担するようになるし、究極は政府によるアセットの所有という風に考えることもできるわけである。つまり、共有型社会システムの到来こそが全ての本質のように思われる。共有型社会システムにおけるモノづくり版がインダストリー4.0であると私は考えている。人類が今後も存続し、サステイナブルな社会を実現するためには共有型社会システムがなくなることはないと私は思っている。これがインダストリー4.0の本質ではないだろうか。
異論もあろうが、私が考えるインダストリー4.0の本質を踏まえた上で、インダストリー4.0の観点からデータ駆動型モノづくりの先陣を走る半導体デバイスの製造について再考し、今後の方向性について、別の機会に述べたいと思う。
参考資料
1. インダストリー4.0の衝撃 (洋泉社MOOK)