編集権の独立と利益、透明性との関係
放送局や映画、大衆紙などを提供している、メディア王マードック氏率いるニューズ・コーポレーションが、Wall Street Journalを発行しているダウ・ジョーンズ社を買収するという話が進んでいる。ダウ・ジョーンズ側の反応は、質の高い経済紙Wall Street Journalの辛口の編集に対する権限の独立性が保たれるかどうか、に集中している。
報道に力を入れている雑誌や新聞にとって、報道の自由は不偏、公正という視点を保持する権利である。出版社によっては、報道の自由・公正さを編集権という表現をとるところもある。
しかし、編集権という言葉は、受け取る側によっては編集者のわがままだと見る向きもある。経営者と編集者の議論は、古今東西を問わずどこにでもある。日本だけではもちろんない。米国でもアジアでも欧州でも、この議論は常にある。経営者は利益を生むような編集記事や企画を求めるが、編集者は読者にとって役に立つ記事に狙いを置く。編集者にとって利益は直接的ではない。だから、常に編集者と経営者は衝突してきた。
今回、ダウ・ジョーンズがニューズ・コーポレーションに強く求めるのは、まさにこの編集権である。経営者からは、直接利益を生まないかもしれない編集記事は、無駄なコストに見えがちだ。しかし、質の高い編集記事は、実は質の高い読者が読んでいる、という点を忘れてはならない。
質の高い読者が読む媒体は、広告効果が高い。質の高い読者は、記事を評価しており、その媒体に信頼を置く。安心してその本を読み、情報を得る。記事を安心して読む読者は広告も同じように見る。広告の内容が読者に必要な情報であれば、広告主に問い合わせ、掲載情報の詳細を知ろうとする。
逆に質の低い情報であれば読者はその媒体を読まなくなる。すると、広告主は読まれない媒体に広告を打たなくなる。
では、広告主の意向に沿った記事を作ることは利益を生むだろうか。1号、2号といった短期的にはイエスであるが、半年、1年以上の長期的にはノーである。広告主は短期的には喜ぶが、「どうせほかの広告主にも同じようなちょうちん記事を載せているのだろう」とすぐに気がつくからだ。すると、自社の話が記事に掲載されても記事の信憑性を疑い始める。その記事を今度は信用しなくなる。読者だけではなく、広告主も記事を信頼できないとなると、その媒体に載せる価値はないと判断せざるを得ない。結局、「ちょうちん記事」は利益を生まないのである。
これまで発行されている雑誌の中で、広告とタイアップした記事を載せている雑誌が繁栄を続けたことは現実にはない。B2B雑誌は読者の目が厳しいため、ほんの少しでもそのようなことをしてしまうともう続かない。B2Cのコンシューマ雑誌でさえ、最近は広告/記事タイアップ戦略は崩壊しつつある。
質の良くないものをあえて作るということは、肉のミートホープ事件となんら変わらない。結局、質の高い内容を作り続けることが、長期的な繁栄にもつながっていくのである。