スコットランドから見えてきた日本のエレクトロニクス・半導体産業のひ弱さ
昨年に続き、先月英国を旅した。今回行った先はスコットランドに3日間滞在、エジンバラとグラスゴーを回った。後半はブリストルに1泊、スウィンドンに1泊、ロンドンに1泊という、取材+移動というパターンに変わった。初めて行ったスコットランドは、予想よりも暖かで東京とさほど変わらない気候だった。もともと独自の王国だったスコットランドの人は誇り高く、イングランドとは違う、という場面を見せつけられた。
エジンバラにオフィスのあるスコットランド開発庁から見た学校
蒸気機関を発明し産業革命を生み出したジェームス・ワットはイギリス人ではなく、スコットランド人であり、電話を発明したグラハム・ベルもスコットランド人、電磁界方程式を編み出したマクスウェルもスコットランド人だそうだ。ハリーポッターの舞台となった学校もスコットランドにある。写真はお城ではなく学校だ。
産業革命は近代工業化を推進し、英国を欧州のトップすなわち世界のトップに押し上げた原動力になった。工業化の時代は18世紀から20世紀へと続いた。20世紀の後半、1980年代から情報化社会が叫ばれた。実は、この頃すでにスコットランドはサッチャー改革と共に工業化社会から情報化社会、それを支えるエレクトロニクス社会へと舵を切り替え始めていた。
グラスゴーといえば、鉄と石炭、造船、といった重厚長大の街のイメージがあるのですが、と取材先で最初の質問を切り出すと、どの取材でもみんな一様に、「50年前まではそうだった。しかし20年前からはもうICT産業へと切り替えてきた」と異口同音に答えた。昨年、英国政府、ケンブリッジ、ブリストルを取材したときの答えがそのままスコットランドにも当てはまる。産業のキモはICT(情報・通信・エレクトロニクス技術)であることをしっかり理解している。エレクトロニクスの頭脳・心臓は半導体であることも認識している。
日本のエレクトロニクス産業もその重要性を昔から認識しており、半導体はまだ成長できる産業であることをわかっているはずなのだが、世界のエレクトロニクス産業、半導体産業と比べると停滞している。それに加えて昨今の世界同時不況が重なった。しかし、2008年の企業の業績不振を世界不況のせいにしていないだろうか。少なくとも海外の企業を見ている限り昨年前半までは快調に飛ばしていた。しかし日本の半導体メーカーは昨年前半から失速していた。この違いは何か。
国内のエレクトロニクスメーカー、半導体メーカーが日本と海外との違いをきちんと認識していれば、世界の半導体産業の成長率よりも低いというブザマな業績にはならなかったはずだ。なぜ世界に負けたのか、勝つためには何をすべきか、そのためにとるべき戦略は何か、1年後の目標は何か、というビジネスの分析をしてきたのだろうか。してきたとすれば、その分析は間違っていると認識すべきであり、間違った分析をなぜ信じたのか、を徹底的に解明し、二度と同じ間違いを繰り返さない強さを身につけるべきだろう。そのために、達成できない時に責任をとる覚悟はあるのか、経営者がその覚悟を社員に見せつけたことはあるか。
ルノー会長のシュバイツアー氏は日経新聞の「私の履歴書」の中で、カルロス・ゴーン氏が日産サバイバルプランを掲げ、1年後にその目標を達成できない時は社長を辞めると言いきったときの様子を書いている。ゴーン氏の上司であったシュバイツアー会長の方がビビったという。ゴーン氏は社長としての覚悟を社員に見せつけたのである。だから、日産の社員は社長について行った。
国内エレクトロニクス産業の経営トップはどうか。1年間の目標を掲げ、そこまでの覚悟はあるか。問題は不況が回復したときだ。今、業績不振を不況のせいにしていると、実は景気が回復したときもその産業の成長率よりも低いままになり、企業はつぶれてしまいかねない。不況とは別の次元で改革を進めなければ、日本のモノづくりの未来は来ない。
どうやって改革するか。企業によって実績、ノウハウなどの違いがあるため一概には言えないが、ありとあらゆる方法、手段、アイデアを出しつくし、社員を総動員して考え抜くこと。そして自分の企業が2年後にどういう姿に変わっているかをみんなで知恵を絞り想像し目標として掲げること。社長も社員も自分のクビをかけて目標に向かっていくこと。これがどの企業にも言える共通解である。座して死を待つ人生ではなく、わずかな軍勢で攻めて今川義元の首を勝ち取った織田信長の戦術こそ、今の日本に求められるのではないだろうか。