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シンガポールが日本を抜いた

シンガポールの方が日本よりも豊かになった。国際通貨基金(IMF)が先日発表した国民一人当たりのGDP(国内総生産)は、3万5000米ドルを超え、日本の3万4300米ドルをついに超えた。GDPの絶対値では日本はまだ世界第二位の経済大国ではあるが、国民一人当たりのGDPはどんどん下がっていっている。

シンガポールは1960年代はじめ、初代首相となったリー・クアンユー氏(現在上級相)がマレーシア連邦から独立して建てた華僑の都市国家である。マレー人優遇政策に反発した中国人グループが独立を進めてきた。外国企業を誘致して国を豊かにするという方針を立て、公用語を英語に変え、これまでの国をリードしてきた。今では、中国人だけではなくインド人やマレー人、さらには西洋人も加えた多民族都市国家になっている。

資源がない。水すらない。食料もない。あるのは人の知恵だけ。知恵を生かし、国を発展させてきた。LEDの交通信号やETC交通システムなどは日本よりも数年早く実用化した。1990年にアジアのエレクトロニクスエンジニアを対象とした英文誌Nikkei Electronics Asiaを創刊するのにあたり、シンガポールへ行き、政府関係者、現地のエレクトロニクス企業、半導体を始めたばかりのChartered Semiconductor(当時は国営企業Singapore Technologiesからスピンオフして半導体専門の企業を作ったばかりだった)や中小の電源メーカー、あるいは出版社IT Asia、プレスセンターなど10カ所程度訪問した。ラッフルズホテルは当時まだ工事中だった。

当時、日本ではまだ使われていなかったITという言葉がすでにあり、情報処理あるいはコンピュータの活用という意味でITを使っていた。現在と違いインターネットはまだ発達していなかった。

取材のアポを取るために東京から電話をするとシンガポールと香港、韓国はすぐにつながったが、インドネシアは10回に一度、マレーシアは2回に一度しかつながらなかった。電話回線容量が細かったからである。シンガポールでは通信や電力、水などのインフラは完成しており、日本とさほど差は感じなかった。エンジニアの給料は日本より少し安い程度だった。一方のインドネシアでは物価は極端に安いが、インフラは悪かった。空港で知り合った日本からの縫製関係の人は工場を建てたはいいが、電力が来なくて1カ月も工場の稼働を伸ばさざるをえず、本社から叱られたとしょげていた。

シンガポールは当時から既に日本に近い程度に豊かだった。物価は日本に近いほど高かった。しかし、シンガポールはその後、着々と国家を豊かにするための政策を次々に打ち出し、製造業を捨てず、ただし将来性のある半導体に集中し、前工程から後工程までカバーできる体制を作った。STMicroelectronicsはシンガポールで最初の前工程の工場を90年当時すでに完成させていた。日本の経産省に相当するEDB(経済発展局)のうたい文句は、ITと半導体であった。

今、高学歴の女性が子供を産まない少子化問題も顕在化しているが、子供を産み育てるための資金援助、半導体エンジニアへの資金援助、など、将来に向け国を発展させるために欠かせない要素に対しては重点的に国家が資金を出す。一方、街を汚すたばこやチューイングガムを禁止、地下鉄構内でものを食べると5000ドルの罰金、など街をきれいに保つことに対しては徹底的に厳しい。これも海外から人や企業を呼ぶための仕掛けになっている。

危機管理に対しては、特にマレーシアからの水道に頼っている実情に対して、水のリサイクルを現在実用化しようとしている。いつ水道の供給をストップされるかもしれないと恐れているためだ。90年湾岸戦争のきっかけとなったイラクのクエート侵攻に対しては、マレーシア軍のシンガポール侵攻を想定して、イラクをどこの国よりも強く非難した。もう一方の隣に位置する1億7000万人のインドネシアに対しても常に警戒している。

報道という観点からは、政府の悪口を言うメディアに対しては弾圧する。政府に対する批判記事を書いた米国の記者に対してシンガポールから追放し、入国を禁止した。小さな国だからこそ正しく国民を導かなければならないから、報道の自由を100%保証はしないと政府は説明するが、報道に立つ者としてはこの点は納得がいかない。

とはいえ、概してシンガポール国家が政策を立案し、実行して行くその手腕は日本にとって学ぶべき要素の一つではないだろうか。

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