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日本のメーカーはなぜIceraを買収しなかったのか

グラフィックスチップやボードを開発してきた米Nvidia社がいよいよ、本格的に携帯機器用の半導体分野にやってくる。5月10日に英国の通信ベースバンドチップのIcera社を3億6700万ドルで買収すると発表し、携帯通信やM2M通信モジュール用のRFとベースバンドチップを手に入れるからだ。

Nvidiaのグラフィックスチップは、カナダのグラフィックスチップメーカーATI(現在はAMD)と並んで性能は極めて優れているものの、消費電力は100Wを超すような、いわば計算機をフルに動作させるグラフィックス専用のファブレスチップメーカー、というイメージだった。それが、米モトローラ社のタブレットXoomや、韓国LG電子のタブレットOptimus PadのアプリケーションプロセッサTegra2を設計・開発し、携帯機器にも使えるレベルまで消費電力を削減できる半導体メーカーへと変身したのである。

携帯端末に使えるほど低い消費電力を実現できるアプリケーションプロセッサTegra 2は、3月にレポート(参考資料1)したように、パワーゲーティング技術をふんだんに使い、しかもそれをARM11コアとパワーマネジメントICで制御している。グラフィックスコアはもともと強かったGeForceコアを搭載、このコアにも低消費電力設計を施しているが、詳細については明らかにしていない。

タブレットでようやく携帯端末市場に参入したが、携帯機器に不可欠な通信回路であるRFとベースバンド部分を持っていなかった。Nvidiaが英国ベンチャーIceraに目を付けたことはさすが、といえる。2008年の最初の英国特集で報じたように、Iceraは米国の通信ファブレスで急伸しているBroadcomからスピンオフした経営陣が設立したベンチャー企業である(参考資料23)。

Iceraはソフトウエア無線専用のプロセッサDeep eXcution Processor (DXP)を設計開発してきた。これはDSPではない。ハードワイヤードロジックでもない。いわゆるマイクロプロセッサである。最大の特長は、ソフトウエア無線(software defined radio)という、ソフトウエアだけでさまざまな通信方式に対応できるフレキシビリティを持つ技術ながら、かつチップ面積が小さいという点である。競合のクアルコムのベースバンドと比べると、品種にもよるが、同じデザインルールで半分しかない、すなわちコストは半分で済む、という優れモノだ。

なぜ普通のマイクロプロセッサなのに高性能で小さな面積で実現できるのか。一言でいえば、通信ベースバンド専用のマイクロプロセッサに最適化したからである。シングルコアで構成している。ベースバンド処理では、デジタル変調を計算するのによく使うコリレーション(相関)やイコライゼーション(等価)、コーディング(符号化)、デコーディング(復号化)などを行うアルゴリズムを記述するソフトウエアの効率を徹底的に上げ、無駄なサブルーチンを減らし最適化した。このためメモリ容量が少なくて済みチップ面積は減る。しかもLTEのチップにも3GからHSPA、HSPA+のバックワードコンパチビリティを持たせようとすると、クアルコムなどのチップは大きくなるが、ソフトウエア無線はソフトを入れ替えるだけでLTEでも3GでもHSPAでも簡単に切り替えられるため、チップ面積を大きくせずに済むという訳だ。


図 Icera社のCTOで天才半導体デザイナーSteve Allpress氏

図 Icera社のCTOで天才半導体デザイナーSteve Allpress氏


デジタル変調モデム設計の天才デザイナー(同社日本法人の児玉代表取締役社長による)Steve Allpress氏(図)がテクノロジーを指揮、驚くほどの低消費電力、小さなチップを実現した。3年前にAllpress氏に取材した時、ソフトウエアをうまく最適化することで最強のチップを作ったという思いを感じた。今や半導体にソフトウエアの知識は不可欠になってきているのである。

それにしても今回の買収劇で悔やまれるのは、なぜ日本の半導体メーカーが買収しなかったのか、という点だ。セミコンポータルでは2008年にこの優れモノのチップと天才デザイナーを紹介したのに、誰も問い合わせてこなかった。この英国特集に登場したIcera社を評価する目が国内メーカーにはなかったということかもしれない。ただし、Iceraの技術は極めて革新的だが、同社のビジネス・営業力は今一つ。ここに旧ルネサステクノロジなり、NECエレクトロニクスなり、富士通なり、パナソニックなりがこの3年間の内にIceraを買っていれば、少なくとも携帯機器のこれからの大きなエンジンを手にいれられたのに、とつくづく悔やまれる。

参考資料
1. NvidiaがタブレットXoomに使えるほどの低消費電力を達成させた技術とは? (2011/03/09)
2. 特集:英国株式会社(3) 4Gまで対応可能なソフトウエア無線専用プロセッサ (2008/03/19)
3. 津田建二著、「欧州ファブレス半導体の真実」、日刊工業新聞社発行 (2010年11月)

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