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検察とジャーナリズムと実験計画法

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郵便不正事件で厚生労働省の村木厚子元局長の無罪が決まり、一転して大阪地検特捜部のでっち上げ説が有力になり、前部長、副部長が逮捕された事件は何か後味が悪い。検察の手法について、ややもすれば自分たちもすれすれのことをやっているのではないかと思い当たる話ではないだろうか。

ここ数年間、半導体業界のエンジニアや元エンジニアの方々から、ある出版社が出版する雑誌や休刊した雑誌について批判めいたことを何度も聞かされてきた。それは、編集記者たちが自分たちの描いたストーリーを取材対象者に無理やり押しつけてきて特集テーマのストーリーにしてしまう、という嘆きの声だった。いわば、でっち上げに近い。結局、一部の雑誌は休刊してしまったが、自分たちが最初に描いた仮説のはずのストーリーをそのまま通して、特集のストーリーを描いていたという訳だ。

この手法は今回の検察の手法と極めてよく似ている。自分たちのストーリーに合うように自白させたり、調書を書いたりすることは事実から離れることになる。しかし、エンジニアの視点から見れば、フロッピーディスク資料を検事がなぜ改ざんしなければならないのか全く理解できない。自然科学を学んできたエンジニアは実験した事実を事実として見ることはごく当り前で、その実験事実を自分の都合の良いように改ざんすることなど信じられないからだ。

エンジニアは、実験計画法を大学で学んできているはずだ。実験計画法では、複数回実験することを前提として、最初に仮説を立て実験を行う。実験結果がその仮説と違う結果が得られたならば、実験の再現性があるのかどうかをまず疑い、再現してみる。それでも実験結果が仮説とは違う結果であれば仮説が間違っていることになる。最初の仮説をその実験データに合うように修正し、再び第2の仮説を立て直し、再度実験に挑む。これを何度も繰り返して真実を求めていく。

私のようなジャーナリストも実は、全く同じような実験計画法を使って真実を追求していく。実験を取材という言葉で置き換えると、その手法は実験計画法と全く同じである。自然科学の法則を見つけるために実験を行い、仮説を修正しながら、じわじわと真実を追求していくのである。仮説を修正しないのであれば、実験(取材)する必要はない。勝手な、無責任な仮説で笑い話を作っていることと同じである。しかし、実験データを書き換えたり、取材しながら記者側が強引に自分の仮説に「うん」と言わせたりしてストーリーを「ねつ造」することは等しい。

自分たちが最初に描いた仮説ストーリーが事実と違うのであれば、素直にそれを修正し、いかにして事実に近づけていくか、ここに本当のジャーナリズムの力が試される。強引に仮説を仮説のままでストーリーを作るのであれば、それは間違いになり、剛腕エンジニアや剛腕検事、剛腕記者でも何でもない。事実をはき違えているにすぎない。こういう記者は往々にして自分の都合の良いことしか言わない。事実を隠そうとする。

やはり、その出版社出身の記者たちから、「インタビューする前からある程度ストーリーはできているものだ」、ということを聞かされた時、だからこの記者は事実を書けないのだと思った。この考えは今回の検察と同じであり、やらせにも通じる。インタビューする前にはさまざまな仮説を立て、どれにでも対応できるようなフレキシブルな態度が必要であり、そうでなければ取材する意味すらない。

もちろん、インタビューする前からその企業に関する記事の仮説を立てておくべきではある。しかし、仮説はあくまでも仮説であり事実ではない。事実かどうかを証明するのが取材(実験)である。だからこそ、取材してその企業の考えが記者側の仮説とは違っていればその仮説を修正しなければならない。

そのためには、取材で語ったその企業戦略と仮説がなぜ違うのかを深く考え、それについても取材で確かめるのである。取材記者は常に、「なぜ、なぜ、なぜ」を連発して、仮説をどのように修正すれば事実に近づけるのかを考えなければならない。かつて、米国のエレクトロニクス雑誌EDNの編集記者と話していて、仮説と取材、「why, why, why」という問いかけを進めることで真実の姿に近づけることを一緒に確認した。ジャーナリズムの手法は日本語でも英語でも変わらない。

ある企業の戦略が仮説Aになると考え質問した答えが、その企業が戦略Bをとるというのなら、「なぜBなのか、自分はAの方が世の中の動向に合うと思うのだが、Aのまずい点は何か、Aだとその企業はどうなってしまうのか、Bを選択することでどの程度明るい未来が描けるのか」ということを聞き、Bを選択する企業の特徴は何かを求め、その企業に反論する企業がいればその反論も聞いておく。それらをまとめ整理し、戦略Aをとる企業はAをとる文化やノウハウがあり、Bをとる企業はBをとる文化やノウハウがあり、それぞれの特徴を整理すると、その業界の正しい姿が浮かび上がってくる。

結局、無理やり仮説を仮説のまま当てはめようとするといつまでたっても真実の姿に追い付けないということだ。これでは自分の腕を磨くことにはならない。エンジニアも記者も検察も、真実を追求する姿勢は同じはずだ。

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