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フェライトは欧州の発明という海外の常識を覆し、日本製を証明した熱い男

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私も恥ずかしながら井の中の蛙のようだ。フェライトは日本の発明だと長年信じていたが、海外ではフィリップスの発明だと言われているらしいことを最近知った。コイルやトランス、EMIノイズ削減に使われるフェライトは1930年に東京工業大学の加藤与五郎教授と武井武教授が発明したと学生時代に習った。事実はやはり日本の発明である。このことを証明した人がいる。フェライトは日本の発明という事実がIEEEマイルストーンに最近記された。

元TDKの岡本明氏

元TDKの岡本明氏


TDKを定年退職した岡本明氏は、千葉県市川市の本八幡にあるTDK開発研究所の開発部長などを歴任されてきたが、退職後のライフワークとして、フェライトは日本の発明であることを証明するために全国を奔走された。昨年11月4日の日本経済新聞の文化欄に掲載された記事でそのことを知り、岡本さんに会って事実を確認するため正月前からアポイントメントの日程を調整していたが、なかなかお互いに日程の折り合いがつかずようやくこの1月に会って話を伺うことができた。

フェライトを発明した両教授のもとに、ビジネスマンというべきか起業家というべき斎藤憲三さんが訪問しフェライトの話を伺い、これを開発・生産するビジネスを立ち上げようと考えた。このビジネスを立ち上げた企業こそ、大学発ベンチャーの先駆けとなった東京電気化学(TDK)である。岡本氏がこのことを証明するために奔走したのはTDKで長年仕事してきたからに他ならない。

岡本氏によると、加藤・武井両教授は1930年の暮れに特許を取得し、日本の電気化学会やElectrochemical Societyミーティングなどでフェライトを発表した。特許を譲り受けた斎藤氏は35年にオフィスを設立したのち、武井教授らと研究を続けながら、37年に工場を設立した。その頃に371個のフェライトを作製し計測器メーカーのアンリツに納入した。その後、海軍の技術研究所から1MHzまで使えるという認定書をもらい、東芝や松下無線、日立製作所、国際通信などへ出荷した。無線通信機に使われたと言われている。

当時の通信機などにフェライトが使われて残っていないかどうか、岡本氏は全国を探し歩いた。たまたま横浜に無線通信機の収集マニアの方を見つけ、その方の家(個人博物館)には古い米国の通信機があった。しかし、中を見せてくれない。何度かの押し問答と、岡本氏の粘り腰によって、無線機の中を本人に開けてもらいフェライトの存在を確認させてくれたという。

フェライトが両教授の発明であることを、電子技術のマイルストーンをいくつか記しているIEEEに岡本氏は申請し、東工大やTDKの推薦を取り付けた。その結果、2009年10月にフェライトはIEEEマイルストーンの事業として認定された(以下のURLを参照;http://www.theinstitute.ieee.org/portal/site/tionline/index.jsp?pageID=institute_level1_article&TheCat=1008&article=tionline/legacy/inst2009/oct09/history.xml)。ちなみに2009年10月、IEEEマイルストーンに記された事業は他に、ジャック・キルビー氏が発明した集積回路、IBMトーマスJワトソン研究所のMOSLSIに関する一連の業績(デナード博士らによる1トランジスタセルのDRAM発明やスケーリング理論の提唱など)、テキサス・インスツルメンツが開発した子供の教育ツールSpeak & Spellがあった。世界の超一流の研究と肩を並べる仕事としてフェライトが認定されたという訳だ。

ここまで来るのに並々ならない岡本氏の情熱と行動力があった。実は、彼は1969年に慶応大学の博士課程を修了されたあとにTDKに入社され、それ以降、武井教授とは親交があった。武井教授は岡本氏の結婚の仲人も引き受けてくれたという。武井教授は1992年に帰らぬ人となったが、岡本氏は武井教授のよき理解者だった。フィリップスとTDKとの間で特許を巡るやりとりについても公開できない事実を武井教授が掴んでおり、その時の武井教授の気持ちがよくわかると述懐している。今回のIEEEのマイルストーン認定を草葉の陰から武井氏は喜んでおられるだろう。

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