セミコンポータル
半導体・FPD・液晶・製造装置・材料・設計のポータルサイト

なぜトランジスタの発明が重要なのか(第1回)

|

この12月はトランジスタが発明されてから60年になる。60年は団塊の世代の定年と同じだが、半導体産業はまだまだ定年を迎えない。トランジスタの発明が今日の集積回路の発明につながったということで、高い評価を受け、発明者3名はノーベル賞の受賞へとつながった。同じ半導体なのにダイオードは評価されず、なぜトランジスタが高く評価されるのか、考察してみたい。

最初のトランジスタが米ベル電話研究所で発明されたとき、ノーベル賞を受けた、ショックレイ、バーディーン、ブラッテインの3人のうち、実はリーダーのショックレイが立ち会っていなかったことは意外と知られていない。ショックレイがIEEE誌に執筆した論文を1977年に日経エレクトロニクス誌が翻訳掲載した記事「接合型トランジスタ発明への道」にその事実が詳細に書かれている。ショックレイは、固体増幅器を求めて3端子デバイスの両端を極限まで縮めて真ん中の層を薄くすれば半導体は増幅作用を示すに違いない、と考えてさまざまな実験を行ってきたのにもかかわらず、点接触トランジスタが増幅作用を示したときの実験には留守をして立ち会っていなかった。そのときの「悔しさ」から、安定動作をする接合型トランジスタを提案し、実験で実証したのはその1年後だった。

ショックレイがこだわったトランジスタが発明された1947年12月から1950年〜60年代は半導体デバイスの黎明期でトランジスタだけではなく、エサキダイオード(発明のエピソードは「青の奇蹟(後編)」を参照)やガンダイオード、インパットダイオード、発光ダイオード、ショットキーダイオードなど各種のダイオードも生まれた。半導体材料としてもゲルマニウム、シリコン、ガリウム砒素、インジウム砒素、インジウムアンチモンなどさまざまな化合物半導体も生まれた。しかし、ダイオードは、半導体デバイスの主流にはなりえなかった。

ダイオードは一方向にのみ電流が流れるという性質がある。この性質を利用して、整流器や検波器などが作られている。しかし、それだけでは増幅作用はない。エサキダイオードやガンダイオードなどは、負性抵抗を利用して発振作用を行わせ、増幅作用を持たせることができた。負性抵抗とは電圧上昇と共に電流が下がっていく曲線の傾きが負であることからそのように表現する。これらのダイオードは、順方向に電圧を上げていくと電流は増えていくが(ここまでは通常の動作と同じ)、さらに電圧を上げると今度は逆に電流が減っていくのである。電圧上昇と共に電流は下がり続け、やがて電流の極小値に達すると今度は通常のダイオードのように再び電流は増えていく。電流-電圧曲線の傾きが負になっている領域にバイアスポイントを持っていくと発振する。

しかし、ダイオードは所詮2端子にすぎないため、増幅作用を示すからといって入力と出力を分離できにくいという不便さは残る。やがて1970年代のガンダイオードやインパットダイオードが全盛時代にガリウム砒素(GaAs)トランジスタが登場した。しかし入出力分離しなくてもすむGaAsトランジスタ(正確にはショットバリヤゲートを利用した電界効果トランジスタ)は使い勝手が良いため、ガンやインパットなどのダイオードはGaAsトランジスタにほとんど駆逐されてしまった。

現在の半導体チップと呼ばれる集積回路にはシリコンのMOSトランジスタが基本素子に使われているが、これはショックレイたちの発明したゲルマニウムのバイポーラトランジスタとは構造も動作原理も材料も違う。MOSトランジスタ(正確にはMOS電界効果トランジスタあるいはMOSFET)は集積化に向いたトランジスタである。集積回路はかつてMOSとバイポーラが両立していたが、結局MOSが勝ち、バイポーラはメジャーになれなかった。MOSトランジスタを作る技術が今の集積回路の基礎を築いた。インテル社の社長を務めたロバート・ノイス氏が開発したプレーナ技術、集積化技術、ゲルマニウムからシリコンへの転換、ジャン・ホーニ氏などによるシリコンの酸化膜形成技術などが今日の集積回路の基礎を作ったとされている。

にもかかわらず、ショックレイが開発したゲルマニウムのバイポーラトランジスタがなぜ大きな評価を受けるのだろうか。集積回路におけるトランジスタの意義については次回考察する。

月別アーカイブ