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日本半導体産業復活のために〜ISSM は製造戦略を再定義

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半導体製造プロセスにおけるノウハウをサイエンスにしようというコンセプトで始めたISSM(International Symposium of Semiconductor Manufacturing)。日本の半導体メーカーはファブライトへ転換し、重要な半導体製造の力を弱めてきた。米国ではファブレスのQualcommでさえ、半導体プロセスの技術責任者を置き、その重要性を認識している。ISSMの情報発信タスクフォースはISSMを再定義し始めた。ここに日本復活のカギがある。(セミコンポータル編集室)

著者:前川 耕司、PDF Solutions, Vice president, Japan business development, ISSM 運営委員、AEC/APC Japan 運営委員副委員長

ISSMの存在意義
今ISSM( International Symposium of Semiconductor Manufacturing)は、日本の半導体産業に再び何を問いかければよいのか、模索している。このたび6年ぶりにISSMの趣意書が変更になった。「ノウハウをサイエンスに」のコンセプトは貫かれている上、高品質への期待感も謳われている。しかしながら、微細化技術の追従、ビジネスのグローバル化という観点は失われており、その代わりに寡占ともいえる大規模生産能力を持つ少数企業への集約という動きが登場してきた。日本の半導体製造の世界での位置付けとしては、ストレートな見解だと思う。また昨年12月には、Semicon JapanにおいてISSM戦略フォーラムと称し、車メーカー、車モジュールメーカー、車載用半導体デバイスメーカー、半導体製造用ソリューションプロバイダーの間でパネルデスカッションを行うなど、新しい取り組みも始めている。ISSM内部で複数の命題に関してタスクフォースチームも組織され、関係企業の有志による検討も始まった。

ISSMは1992年に日本で発足した、半導体業界の学会である。今年は12月12日、13日の両日に渡り、東京両国で、国際会議を予定している。この24年間、日本の半導体製造プロセスという、専門分野に特化した技術者たちの集まりの中で、その時々における技術戦略の提案、人材交流、人材育成に大きな貢献をしてきた。

近年、日本の書店では「日本「半導体」敗戦」などの本が目に付く。日本の半導体デバイス製造は、このような敗戦状態にあるという見解が多いようだ。確かに、先端のSOC(システムLSI)デバイス製造については一敗地にまみれた観はあるが、メモリ分野やセンサ分野では世界トップの生産量を争っているデバイスメーカーもあり、また半導体製造装置や材料については、日本は極めて高い市場シェアをとっている。

半導体デバイス製造の将来を見つめて、ISSMとして何が提案できるのだろうか?日本において、今後半導体製造におけるキーワードになると思われる、高品質を軸とした半導体デバイス製造の行方を、事例を挙げながら考えてみた。

下町ロケットの感動
大脱線気味だが、テレビ番組の話から始めよう。仕事上、毎月一回は、ワシントンDC郊外の自宅、シリコンバレーのオフイス、東京の間を行き来している。ワシントンダレス空港から成田空港までノンストップのフライトに乗ると、14時間あまりの飛行時間だ。最近、フライト中のテレビ映画に出てくる「下町ロケット」という、12回くらい放映のテレビ番組を見ていた。たぶん、テレビやDVDで見られた方もいるだろう。話は、東京(?)の下町にある中規模な機械部品製造会社が、巨大重工企業でも実現できなかったロケットエンジンのキーパーツである高性能エンジンバルブを手作りで開発製造し、特許をとり、巨大重工企業との協業の末、純国産ロケットの打ち上げに成功するまでの物語である。そこに描かれているのは、職人的な「匠の技」を駆使し高精度の機械加工技術に支えられた、ユニークな特性を持つ製品の開発、小規模製造の姿である。物語を見ていて、これぞ品質ニッポンを彷彿とさせる内容で、単純な私はフライトの中でハンカチに涙をしみこませながら眠るのを忘れて見とれていた。(おかげで、いつもよりひどい時差ぼけになり、調整するのに苦労した。)

この物語に出てくる熟練の「匠の技」と、斬新なアイデアに基づく製品設計の組み合わせが成功の鍵なのだ。この組み合わせが、従来考えられなかった、世界の常識を超える特性を持つ製品の製造を可能としているのである。これぞ、ニッポンが1980年代に誇った高品質ハイテク製品製造の基本的な姿だと、一人感慨にふけっていた。

しかしながら、同時に疑問も頭をもたげてきた。高品質を誇った日本の家電製造業、半導体デバイス製造業が、なぜ今日、台湾、韓国、中国の製造業にここまで押されてしまったのか?なぜ米国製造業と(あそこまで強力だった)日本製造業との関係がこうも逆転しているのか、自分の中では説明が付かず、今日に至っている。

現実はどうだったか? 
このくだりを書いている今、どうにも心を横切る光景がある。それは、1980年代半ばに私がアメリカ合衆国に移住した頃の、合衆国のハイテク製造業の衰退の光景である。以下の話は、今日、日本の中でも40歳より若い人たちには想像しにくい光景かもしれない。1980年代、合衆国のハイテク製造業は、日本製造企業の大攻勢にあい、瀕死の状態だった。日本企業が提供する高品質のハイテク製品に老舗のアメリカ製造企業は次々と押され、倒産するもの、低コストを求めて国外に製造拠点を移すものが続出し、いわゆる製造業の国内空洞化が進んでいた。米国市場のただ中で私が見ていた心の光景は、日本企業によって国内市場を蹴散らかされ、爆撃を受けた後の焼け野原状態に近いものがあった。

1980年代の米国経済がいかに厳しい状態にあったかを示す一例として、米国の失業率のデータを示したい。図1において、1975年以降、1990年代半ばまでの10年以上の期間にわたり米国の失業率が歴史的な高さを保ち続けていたのがおわかりになると思う。特にピーク時であった、1980年代前半の失業率の高さは、近年のリーマンショック時の失業率を上回っていたのである。日本のジャーナリズムは日本型品質管理、品質保証に基づいた高品質製品によるビジネスの成功を高らかに誇り、米国製造業の衰退は日本を含め国際社会に迷惑をかけているという意味の記事を掲げていた。


図1 最近の米国における失業率 出典:United States Department of Labor, Bureau of Labor Statistics

図1 最近の米国における失業率 出典:United States Department of Labor, Bureau of Labor Statistics


当時の、世界経済成長の牽引役を担っていたのは、G7の中の日独米の3カ国であった(当時の独とは、統一以前の西独のこと)。当時はG7のGDPの総額は全世界のGDPの総額の60%以上を占めていた。今は、50%以下である。国内製造業の衰退にもかかわらず、次の成長産業を作れていなかった米国は、双子の赤字(連邦政府財政赤字と貿易収支赤字)に陥り、経済成長目標を達成できないどころかリセッションになっていた。そのため、日本がいくら世界経済の成長に貢献しても、 米国がその効果を帳消しにしているという論調である。中には、米国は借金で贅沢な暮らしをしている、日本は借金もせずひたすら勤勉に働いているのだぞという、いささか感情論めいたものもあった。このころから米国内でも、それはもっともな意見だ。われわれも、日本人の勤勉さをもっと見習うべきだとの声が聞こえてきていた。ジャパン アズ ナンバーワンという本の題名が日本の経済力の代名詞となっていた時代であった。

このころ、私の同僚たち(米国の技術者たち)が抱えていた無力感は大変に大きかった。どんなに巧緻な日本の製造技術を真似しようにも「匠の技」を持つ人材がいないため、製品開発に成功しても生産がどうにもできないじゃないかというあきらめだった。逆に、同じことを後追いで行ってもどうせ追い越すことは出来ないのだから、別のやり方を探そうじゃないかという半ば開き直り的な考えもあった。その一つが、誰にでも製造が可能となるような製造の自動化(Fab Automation)のアイデアであった。

米国製造業は、2000年代になり製造の自動化技術を積極的に実現して、攻勢に転じていく。今日、ビッグデータ収集とかIoTとか呼ばれている技術のコンセプトは、1990年代に米国で先端技術を使った製造にかかわっていた技術者にとっては、目新しいものではない。当時焼け野原状態であった先端技術製造現場では、このような(後にビッグデータ収集やIoTにつながっていく)新技術の開発、およびその技術を理解して使いこなす多数の技術者やテクノクラートの育成が大規模になされていた。このような変換は、私のような化学メーカーで仕事をしていた、化学をバックグラウンドとする技術者の日常にも押し寄せてきた。この点は、日本ではあまり知られていないのではないかと思う。おそらく、このような大きな構造的技術変換のただ中で日常を過ごした人間が、過去を振り返ったときにしか実感を伴って理解できないのではないかと思う。これは、1980年代中盤より2010年ころまで、日本の社会とほとんど接点を持たなかった私の単なる推測だが。先に述べた日本ジャーナリズムのジャパン アズ ナンバーワン的な論調に、祖国への誇らしさを感じつつも、 目の前で進行している巨大な変化を冷静に見据えたとき、5年、10年の後に、何が起こってくるのか?心のざわめきを覚えたことをいまでもはっきりと思い出す。

半導体デバイス産業という狭い業界を見ても、ファブレス、ファウンドリという新しい産業構造への転換をすばやく達成して、なんだかんだといわれながらも、先端産業に巨大な影響力を持つファブレス会社、半導体デバイス製造会社が米国には存続している。どこかのスーパーヒーロー的な経営者が突然、降って湧いたように現れ、彼らの英断によってこのようなすばやい転換を可能にしたように、ものの本には書かれている。しかし、それはあくまでも物語にすぎない。一人のスーパーヒーローだけでは変化を形成し、実現することはできない。その考えを理解し、実現するために十分な素質を持った人たち(技術者とテクノクラート)が十分な数だけ米国内に存在していたことが重要だが、このことは、語られることがあまりない。米国において1990年代は、2000年以降に変化を実現するための人材育成がなされていた時期だったなと今になって思う次第である。

半導体事業とは何か?
グローバル市場では、日本企業の先端半導体デバイス製造のインパクトは縮小している。誤解を恐れずに言うと、メモリやイメージセンサのような一部の製品群では著しい成長を維持しているものの、先端微細化SOCデバイス製造の分野ではメイドインジャパンの製品はほとんど存在しない。平たく言うと、スマホに使われている、スマホの頭脳ともいえるSOC半導体デバイスの中にメイドインジャパンはないし、今後もないであろうと思う。日本の半導体デバイス製造のスイートスポットを見つけていくのは困難になりつつある。

高い品質保証技術を基にしたハイテク製品を提供し、グローバル市場をリードしていた日本の「匠の技」を駆使した製造技術は勢いを失いつつあり、なぜ新興の台湾メーカーや中国メーカーに市場を奪われてきたのか?いつも心をよぎる疑問である。

下町ロケットに出てくる高性能ロケットエンジンバルブは、少量生産、一品生産の象徴である。これに対して、半導体は工業用中間製品である。特に、大量に使用される工業用中間製品は大量に使用されるがゆえ、どんなに先端の技術を使っていようが安く大量に供給するという宿命を背負っている。精緻な「匠の技」を使って製造しようが、製品の特性が競合品と似たり寄ったりであると評価されてしまうと、後は歩留まりを早期に高め利益を早く稼ぎ出すという構造が定着してくる。
 
筆者の中では、この工業用中間製品を製造するための先端製造技術の今日の姿と、先ほどの項で述べた、1980年代に米国をあれほどまでに苦しめた「匠の技的な」製造技術の当時の姿とがかみ合わない。
 
ノウハウをサイエンスに
ISSMの基本理念である、ノウハウをサイエンス化した場合、何が起こるのであろうか? 極論をいえば、「匠の技」はモデルという数学統計方程式によって記述され、誰にでも理解でき、使用できる状態になることだと思う。実際にはこのようなことは起こりにくい。しかしながら、半導体デバイスという工業用中間製品の大規模製造の第一線では、ノウハウのサイエンス化はどこでどのような目的で始まったかはともかく、時代の趨勢となった気がする。

ISSMの主張は現実となっている。SOC半導体デバイス製造での製品の歩留まりバラつきがわかりやすい例だろう。歩留まりバラつきの傾向を大まかに述べると、次のようになる;

28nm以下の微細化先端製造ラインの製品歩留まりのバラつきは、大変小さくなっている。まだ歩留まりが低いときでさえ、小さなバラつきから始まっていく。それに比べ45 nm以上の製造ラインにおける歩留まりバラつきは、歩留まりが十分高くラインが安定した後でも、28nm以下の先端製造ラインの歩留まりバラつきほど小さくならない。
 
本来は、先端製造ラインになればなるほど、バラつきが大きくなると考えられるが、現実はこの予想とは逆になっている。この間の、製造装置とプロセスコントロール技術における技術革新がいかに大きかったかを物語る例だろう。再度言いたい。ISSMの主張は現実となっている。

今日のプロセスコントロール技術は、ビッグデータ収集やIoTと呼ばれている技術を駆使している。その根幹の考え方は、プロセスコントロールのノウハウをモデル化、見える化して、ファブオートメーションを図っていこうというものだ。このような技術革新をいち早く先端製造に取り入れ、グローバル市場でイニチアチブを取るという決断が、1990年台に始まった台湾、韓国をはじめとするファウンドリ企業の躍進となって今日の趨勢を築く礎となっていると考えている。残念ながら、日本のSOC半導体デバイス製造は変化についていくことができなかった。

このくだりを書くとき、常に思い出すのが多国間貿易における国の政策の影響とか、投資の規模とか、経営戦略の問題といった声だ。確かにこれらの言葉を使うと、何かすっきりと説明が付くように思う。しかしながら、私の中にあるわだかまりは、依然として晴れない。

思考が1980-1990年代の、私の同僚たちが抱いていた開き直り的な考え方の思い出にどうしても戻ってきてしまう。それは、日本製造業の「匠の技」には決して追いつけない、後追いは無駄であるから、自分たちの別のやり方で太刀打ちできる道を探そうという、考え方である。米国の産業界が、連邦政府の指導の下、最初からきれいな整合性のある戦略を打ち立てて日本製造業に対抗しようとしていたとは全く思えない。その場その場にある技術の価値を理解して、それをビジネス的な観点からの価値を理解する人たち(私はこの人たちをテクノクラートと、あえて古い言葉で呼んでいる)が、思い思いに発想しそれを積み上げていった結果が2000年代に爆発的な変化を実現したと考えている。変化を創り出すのに十分な数の人材の育成に深く係わっていたのは、大学を中心とする学会の存在だった。
 
米国という社会は、爆発的技術変化をビジネスとして実現化するための人、金、物を調達してくることのできる仕組みを持つ、かなり懐の深い社会である。金、物は投資によって得られるが、変化をもたらす人材については産学が緊密に係わったテクノクラートの活躍が鍵だったと考えている。2000年代に姿を現し、今日IT革命と呼ばれるようになった変化は、技術革新のみならず、新しい技術を使いこなすための従来の常識を打ち破ったビジネスモデルの創出、コンプライアンスの変化まで引き起こしている。米国連邦政府が国策として動きを呼びかけたために、このような変化が起こったわけではない。

「革命」と呼ばれる変化を引き起こす大きな原動力となっているテクノクラートと呼ばれるレベルの人材の豊富さ、多様さについては、日本との違いをシリコンバレーという仕事場に帰ってくるたびに強く実感する。

今の時代、生き残るためには何が必要か?
このようなきれいごとを言いつつ、やはり立ち戻ってくるのは、あの1980年代の日本先端製造企業がとっていた戦略である。単純に言えば、市場に出荷した後も、リスクが高くなるような使い方の場合でも、トラブルの心配の全くない、顧客が安心して使える製品を顧客が欲しいときに欲しいだけ供給する。このような市場において日本の製造業は伝統的に強みを持っているのではないだろうかという考えにいつも戻ってきてしまう。これは、私の中にある、焼け野原的な光景の印象があまりに強すぎるのかもしれない。

冒頭で、ISSMの存在意義の中の、高品質の部分に触れた。生産規模と歩留まりだけではなく、トラブルのない、高い信頼性とバラつきの少ない品質に価値を置く戦略は、これからの日本の半導体デバイス製造を考えた場合、世界市場の中でも十分な勝負ができる位置付けとなり得る。

昨年12月にISSMが半導体戦略フォーラムと題して行った講演会の中での、車メーカー、車載用モジュールメーカーの方々のお話を思い出す。初期不良のない、信頼性上の心配のない高品質な半導体デバイスを製造し、その品質、性能を「見える化」した形で顧客である車メーカー、モジュールメーカーに示していくことは、日本のSOC半導体デバイス製造の将来に明るさをもたらすきっかけとなるのではないかと考えている。

品質、信頼性を「見える化」することは、私が知る限りこれまで半導体デバイス製造に関して積極的に求められたことがない。誤解を恐れずに言うと、今日の半導体デバイス製造は、製品を作りっぱなし、売り尽くしの商法に見える。この方向性で、ビジネス的に優位性をもたらすものはスケールメリットであり、大規模製造でのイニシアチブをとったところがダントツに優位となる。しかしながら、高品質、高信頼性を求める市場があるのなら、大規模製造に対して新しいポジションを取ることが可能だと思う。

高品質、高性能が鍵となる半導体デバイスを必要とする新しい市場を創出していくこと。これは、デバイス製造会社だけではできないことであり、それにかかわる幅広い企業間での意見交換、交流が鍵となってくると思う。言い換えれば、半導体という工業用中間製品のユーザーとサプライヤを含めたエコシステム的融合が必要だと思う。私が仕事をしているシリコンバレーでは、ユーザー、サプライヤ、ビジネス創出の専門家との間でのエコシステムが日常的に作動しており、新しい市場の創出を図る大小の努力が盛んに行われている。

私はISSMに、このようなエコシステムを作り出す、環境を作り出すさきがけとしての活躍を期待する。1980年代、1990年代に米国での産学が緊密に組んだ、技術革新に基づく新しい市場の創出の試みを第一線の技術者として目撃し体験してきた私は、テクノクラートによる新しい市場を創り出す努力がきわめて重要であり、そのためには人材の育成が鍵となり、ISSMはそこに大いに貢献できると考えている。

ISSMでは従来のレベルの議論より一歩脱皮し、新しい方向性を求めて議論を行う場を皆さんに提供しようとしている。新しい試みは簡単に成功するものではない。しかしながら、過去に起こってしまった変化が否応なく直撃する今、新しい未来を切り開く努力の一環を提供したい。日本の半導体製造は、世界に向かう新しい市場の創出に対して責任がある。未来を作り出す試みに、ぜひ参加して欲しい。

(2016/06/28)

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