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一朝一夕にはできぬ労働力・人材育成の難しさ(中編)

ここで量子情報科学技術労働力開発国家戦略計画(QIST労働力開発戦略)(参考資料3)に述べられている作成者の結論と、それに対する筆者の考察を記しておきたい。まず以下がQIST労働力開発戦略作成者の結論である。

QIST労働力開発戦略作成者の結論(抄訳)

国家量子イニシアティブが設立され、QIST R&Dが重要であること、そしてこの分野には相応の労働力が必要であることが認識された。QISTの製造・サプライチェーンの健全な発展、インフラ、新しい発見やイノベーションはすべて労働力に依存しているので、それに適応する人材が極めて重要になる。

QISTの発展に伴い、K-12(ウィキペディアでは「幼稚園 (KindergartenのK)の年長から始まり 高等学校 を卒業する(12年生 =日本の高校3年生)までの13年間の教育期間」のことと説明されている)から学部、大学院教育、そしてそれ以降に至るまで、あらゆるレベルの教育訓練が、労働力のギャップを埋めるのに必要になる。カリキュラム開発、アウトリーチ、教育プログラムには、産学、国研、政府間での方向付けとフィードバックが求められる。国家レベルでは、アウトリーチを拡大し、より多くの教育機関の人々のための学習機会と専門的な機会を増やすことにより、幅広い人材を活用する必要がある。社会との関わりでは、QISTのブランディングとブレークスルーの認知度向上に、特に注意せねばならない。更に労働力、教育、就労機会の拡大といった分野におけるQIST関連の政策的措置は、継続的にチェックしておかねばならない。

QISTエコシステム(相互に依存しあうシステム)の健全性は、学界、政府、国研、産業界が生み出す複合的、かつ高度に相互依存的な仕事と労働力にかかっている。この成長するエコシステムへの持続的な投資は、QISTにおける継続的な新しい発見とブレークスルー、将来技術の創出、そしてそれは優秀な人材育成につながる。


社会改革が必要ではないか

以下に筆者の考察を記述する。上記で作成者の言う「労働力のギャップ」とは単純には需給ギャップだが、レベル間の知識ギャップも含まれるとも考えられる。それはさておき、要するにQIST労働力開発戦略では、前編の繰り返しになるが、多様性(Diversity)、公平性(Equity)、包括性(Inclusion)を旗印に、今までSTEMでは表に出てこなかったヒスパニック、ラテン系、黒人やアフリカ系アメリカ人、アメリカンインディアンやアラスカ先住民、障碍者、女性にも光を当て、広範囲な層の中からQIST労働力を創出するという内容である。そのため上記結論では「あらゆるレベルの教育訓練が、労働力のギャップを埋めるのに必要になる」と述べている。

参考資料2が高尚だったがゆえに、本文書の内容に拍子抜けした読者も多いと思うが、米国の国力をもってしても、新産業振興のために必要となる労働力創出がいかに大変なことかが窺い知れる文書であると受け取っていただければと思う。労働力創出は一朝一夕にはできず、そこに王道はないことを肝に銘ずる必要がある。

前編でも記述したが、この労働力開発戦略を成功させるには、なぜSTEMにこのようなマイノリティの層からの参入がなかった(あるいは少なかった)のかを、まず明確にしなければならないと考える。それを明確にしておかないと、あるいはそれに対する解決策がない限り、この戦略は絵に描いた餅に終わるからである。STEMなしにQISTは考えられない。そこには米国の場合、まず社会改革が必要と思う。

データがないからと、そこで思考を止めるのではなく、既存のデータも活用すべき

後編で作成者が、QIST労働力開発戦略がブレーンストーミングのような項目の羅列になった理由として、「QIST労働力のデータがないからだ」と述べているが、本当にデータがないのだろうか。QISTに関する直接のデータがなくても、STEMに関してWebで検索すると、例えば日本学術振興会サンフランシスコ研究連絡センターの谷麻里衣氏の報告(参考資料7)「アメリカのおけるSTEM教育―次世代を担うSTEM人材の育成―」などがヒットする。2016年時点ではあるが、そこには少なくてもSTEMに関しては、文献に基づくかなりの量のしっかりしたデータが公表されていることがわかる。STEMとQISTは切り離せないので、STEMに関するデータからでも、何らかの手掛かりが得られるのではなかろうか。

例えば米国教育省(United States Department of Education)の発表(参考資料8)では図1のように2010年から2020年までの10年間でSTEM関連職業の求人数増加率が職種別に述べられており、労働者で占められている全就職口、つまり全職業分野で14%増加し、中でもシステムソフトウエア開発職32%、医療科学(従事)者36%、バイオ医療エンジニア62%と増加することが予測されている。その結果「この10年間でSTEM分野の学位取得者が100万人不足するのでその補充をしなければならない」と記述されており、目標が数値で明確に示されている。


図1 米国のSTEM関連職の伸び率予測(%表示)(2010年-2020年) 出典:米国教育省(United States Department Education)のホームページを筆者が翻訳

図1 米国のSTEM関連職の伸び率予測(%表示)( 2010年-2020年) 出典:米国教育省(United States Department Education)のホームページ(参考資料8)を筆者が翻訳


しかも谷氏の報告内容の基になっている米国STEM教育国家科学技術委員会(Committee on STEM Education National Science and Technology Council)が2013年5月に発表した「国家STEM教育5ヵ年戦略計画」(Federal Science, Technology, Engineering, and Mathematics (STEM) Education 5-Year Strategic Plan)(参考資料9)で述べられている内容と、このQIST労働力開発戦略との間にかなりの類似点が多い。

例えば参考資料9では政府の戦略として5項目挙げられており、その4番目の項目で、「STEM人口を増やすには、女性やマイノリティに向けて学位取得の道を開かねばならない」と指摘されている。

女性の活用に関しては、米国商務省(United States Department of Commerce)の2011年のデータとして全職業の男女比が52% 対48%とほぼ同数なのに、STEM関連業での男女比は76%対24%であり女性の参画者数が少ない事実が数値として示されている(参考資料10)。しかもこの数値はその後も継続して調査されている。しかし2017年の見直し結果(参考資料11)では図2に示すように、女性の参加率には、残念ながら2011年とあまり大きな変化はない。しかも残念ながらその理由は、明確には記述されていない。


米国の全職業とSTEM関連職における女性が占める割合 R. Noonan氏により2017年にアップデートされている 出典:U.S. Department of Commerce発表した資料を筆者が翻訳

図2 米国の全職業とSTEM関連職における女性が占める割合 R. Noonan氏により2017年にアップデートされている 出典:U.S. Department of Commerce発表した資料(参考資料11)を筆者が翻訳


同じく米国商務省では人種別の分析もなされている(参考資料12)。それによるとヒスパニック系とラテン系を除く白人は全職業で66.9%占めており、STEM関連でも70.8%を占めている(図3)。それに対してアジア系は全職業で5.5%であるが、STEM関連で14.5%を占めている。逆に元々の人種に関わりなく同じヒスパニック/ラテン系は、全職業で14.9%を占めて産業に貢献しているにもかかわらず、STEM関連ではわずか6.6%で、STEM関連職に就いている者は少ない。

これを基にSTEM関連者数を増やすには、女性とマイノリティ層を掘り起こそう、学位取得者数を増やそうと記述されている。これは正にQIST労働力開発戦略に述べられているのと同じである。


米国における人種別の全労働者数対STEM関連就業者数の比較(2013年米国商務省発表) 出典:L. C. Landivar著,

図3 米国における人種別の全労働者数対STEM関連就業者数の比較(2013年米国商務省発表) 出典:L. C. Landivar著, "Disparities in STEM Employment by Sex, Race and Hispanic Origin"(参考資料12)を筆者が翻訳


残念ながらここでもなぜ女性やマイノリティ層では学位取得者数が少ないのか、その理由は示されていない。しかし「幼少からの教育が重要である」ことが指摘され、「K-12におけるSTEM分野の優れた教師を10万人養成すること」が5項目の主要施策の筆頭に挙げられている。これなども正にQIST労働力開発戦略と同じ、あるいは少なくても類似ではないか。

10年前のSTEM人材育成戦略でこれだけデータを基に議論され、目標が示されているのに、なぜQIST労働力開発戦略ではブレーンストーミングのみに終始したのだろう。しかも谷氏の指摘によれば、STEM開発戦略によって、国際学力調査PISA(Programme for International Student Assessment)によると2015年時点で科学を学ぶことを楽しんでいるK12の学生数が2006年時点比較で米国がトップに出ており、同じく30歳時点で科学関連職業に従事していることを希望するK12の学生数の割合は2015年時点で、2006年時点と比較して米国が日本の倍という成果を生み出している(参考資料7のグラフ7、8)。

上記の参考資料7で引用されている2015年の成果は、STEM人材育成戦略(参考資料9)が公表された2013年の3年後である。一方ここで議論しているQIST労働力戦略(参考資料3)が出た2022年は、QIS戦略全容(参考資料2)が出た4年後である。STEM関連でこれだけデータがあるのにQIST関連ではデータがないとして、ブレーンストーミングで済ませているのは、やはり解せない。少なくてもSTEMのデータからの類推は可能と思う。

今までの参考資料7〜12ではどこにも触れられていないが、筆者が考えるに、多様性、公平性、包括性を求めるには米国の場合、社会改革が必要であると思われる。その改革に時間がかかることは誰しも容易に予想できる。マイノリティや女性の活躍を掘り起こすためには、この社会改革が進まないうちは、顕著な効果をあげるのは困難であり、米国の力をもってしても人材開発は一朝一夕には難しいということであろう。

以上前編と中編では筆者の所感を織り交ぜながら解説した。後編でQIST労働力開発戦略(参考資料3)の抄訳を紹介するが、前編と中編で示した内容を思い浮かべながらお読みいただければ、僭越ながら戦略の全体像に対する御理解も深まると思う。コラムの性格上、「筆者註」の表記を省いたため、本稿では筆者の考えと参考資料3の作成者の記述とが混在する形になってしまったが、詳細をお知りになりたい読者は、原典に直接当たって頂きたい。

技術コンサルタント 鴨志田元孝

参考資料(中編) 番号は全編通して共通
2. Subcommittee on Quantum Information Science, Committee on Science, National Science & Technology Council, "National Strategic Overview for Quantum Information Science", Sep. 2018
3. Subcommittee on Quantum Information Science, Committee on Science, National Science & Technology Council, "Quantum Information Science and Technology Workforce Development National Strategic Plan", Feb. 2022
7. 谷麻里衣, 「アメリカにおけるSTEM教育―次世代を担うSTEM人材の育成―」、日本学術振興会、2016
8. 「米国のSTEM関連職の伸び率予測(%表示)(2010年-2020年)」、米国教育省
9. 「国家STEM教育5か年戦略計画」(Federal Science, Technology, Engineering, and Mathematics (STEM) Education 5-Year Strategic Plan、米国STEM教育国家科学技術委員会(Committee on STEM Education National Science and Technology Council)、2013年5月
10. "Women in STEM: A Gender Gap to Innovation, 2011", U.S. Department of Commerce
11. R. Noonan, "Women in STEM: 2017 Update", Fig.1, U.S. Department of Commerce, 2017
12. L. C. Landivar, "Disparities in STEM Employment by Sex, Race and Hispanic Origin", Fig. 9

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