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ITブロガー河田氏永眠、合掌

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株式会社セミコンダクタポータルの前社長で、日本語ワードプロセッサの発明者でもある河田勉氏が永眠されました。Apple社のiPhoneの使い手でもあった同氏は、IT関係のブログをセミコンポータルに提供していただきました。なかでも「ひび割れた画面のスマホを使っている人たち」は、検索などを通じて、いまだに上位に入る人気記事です。

かつて、日経エレクトロニクスの記者が日本語ワープロの取材では、当時東芝総合研究所におられ日本語ワープロを開発していた河田氏によくお会いして、その原理から応用の詳細まで取材していたことを当時の記者から聞かされました。筆者の友人でもあるその記者のことを、河田氏は今でもよく覚えておられていました。河田氏はその後、東芝の要職を経験され、2004年から2007年までセミコンダクタポータルの社長を勤められました。

筆者は河田氏のブログを最初に読ませていただいておりました。10月15日の最後のブログ「世界で一番信頼されている企業とそれを支える部品企業」を書かれていた時は、癌に蝕まれながらも不屈の精神で癌と戦っておられたかと思うと胸が痛みます。安らかにお眠りください。合掌。

<河田勉氏略歴>
1971年九州大学修士課程修了、東京芝浦電気(株)(現在の(株)東芝)入社。同社総合研究所情報システム研究所所長、研究開発センター企画担当部長、Advanced-I 事業本部部長、東芝iバリュークリエーション社社長、ネットワークサービス&コンテンツ事業統括長を歴任。
1978 年、世界初の日本語ワードプロセッサ JW-10を開発、今や携帯電話にも搭載されている「かな漢字変換」インターフェースを産み出した。その後も機械翻訳など自然言語処理の研究開発に従事。1995 年より携帯情報機器とインターネット関連の新規事業開発に携わり、ビジネス情報配信サービスの(株)ニューズウォッチやお出かけ情報案内の(株)駅前探険倶楽部などの会社を設立する。2004〜2007年、セミコンダクタポータル社長兼任。2007年より同社顧問。

(2014/11/17)

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